連載コラム

舩越園子 サムライたちの記憶

尾崎直道

2014/7/15 22:00

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腰を据えて米ツアーに挑んだパイオニア



 今季、米ツアーに参戦している松山英樹の傍らに、日本語が堪能な米国人の姿がつねにある。ボブ・ターナー氏だ。松山が会見に呼ばれたり、取材を受けたり、ラウンド中になにかが起こったりすると、ボブさんが駆けつけて通訳を務めるのだが、このボブさんが日本人選手をサポートしてきた歴史は、すでに20年に及ぶ。そして、ボブさんとわたしの出会いも、ほぼ20年前に遡る。

 あれは1996年の春だった。当時わたしは米ゴルフチャンネルの国際部門の社員として一時的に勤務しており、米ツアー参戦中の尾崎直道の独占インタビュー企画を実現させようと試みていた。ボブさんがマネージャーであることを知り、彼のオフィスへ取材依頼のファックスを送って返信を心待ちにしていた。メールではなくファックスの時代である。数日後、ボブさんから待望のファックスが届いた。「来週のホンダクラシックの練習日ならインタビューを受けてもいいとジョーがいっている」わたしは小躍りして喜び、当日テレビクルーを引き連れて、いそいそと試合会場へ出かけて行った。

 もうすぐ直道が練習ラウンドを終えるというタイミングで18番グリーンへ向かい、グリーンの奥で待っていた。遠くに直道の姿が見えてきて、胸がドキドキ。フェアウェイから打ち放たれた彼のボールは、ピンフラッグのすぐ脇にドスンと落ち、急ブレーキをかけたみたいにキュキュッと止まり、それを至近距離で見せつけられたわたしの心臓は、破裂しそうなぐらい高鳴った。

 じつはそれ以前、そのころジャンボ軍団がオフに行っていたロサンゼルス・キャンプにアポなしで潜入取材したわたしは、そこで直道に会っていた。が、そのときはジャンボ尾崎にひとことインタビューしたのが精一杯。あとは、人当りがいい羽川豊や金子柱憲と会話したものの、直道とはひとことも言葉を交わせなかった。だから、このホンダクラシックでは、ほとんど初対面のようなものだった。


突然、怒られて

 直道がグリーンに上がってくるのとほぼ同時に、カート道からグリーンへ向かって歩いてくるボブさんの姿を発見。まずはアポ取りをしてくれたマネージャーにあいさつをしようと思い、ボブさんのほうへ歩み寄った。

「はじめまして。舩越園子です。今日の取材、よろしくお願いします」そして、直道がパットを沈め、練習ラウンドを終えたことを目で確認し、今度は直道にあいさつしようと近寄っていった。

「直道プロ、はじめまして。わたし舩越……」

 そこまでいいかけたとき、直道がひどく腹立たしげにわたしの言葉を遮った。

「オレにインタビューするんだろう? それなのになんでボブさんに先にあいさつしてたんだ?」

「えっ?」

「オレにインタビューするなら、まずオレにあいさつに来い!」

「は、はい。す、す、すみません……」

 なぜ、いきなり怒られるのかが理解できず、わたしはただただおどろいて言葉を失った。どうしたらいいのかわからなくなり、涙がこぼれそうになった。

 そして、さらにいらだった様子で、直道はこうたずねてきた。

「それで、だれがインタビューするの?」

「はい、わたしです……」

「ええっ? 大丈夫なの? インタビューなんて、できるのかよ?」

「は、はい……」

 まだ若く、現場経験も少なかった当時のわたしは、ただただ「はい」と答え、おどおどしながらコトを進める以外できることがなかった。

 テレビクルーのアメリカ人たちも、日本語はわからないなりに険悪な空気を感じ取り、黙々と機材をセットした。現場には直道の密着取材のために日本から来ていたスポーツ紙などの記者が5~6人居合わせた。彼らはセットしたテレビ機材の周囲に腰を降ろし、彼らに囲まれた中で、激怒している直道にインタビューするという最悪の運びになってしまった。


変幻自在のスター

「よろしくお願いします」

 恐る恐る、最初のひとことを口にした。直道をもっと怒らせてしまったら、どうしよう。まわりで聞いている日本のおじさん記者たちになにかいわれたら、どうしよう。そんなことを考えたら、マイクを持つ左手が震え出した。

しかし、おどろくなかれ、あんなに怒声を発していた直道は、カメラが回った途端、さわやかな笑顔で「はい、よろしくお願いします」と答えるではないか!

すごい。スター選手のスター性とは、こんなにすごいものなのか。そう思ったら、わたしの左手の震えはさらに激しくなり、ついには震える左手を右手で押さえた。

 それでも、やらねばならぬという責任感に駆られ、わたしは必死だった。いまでも理由はわからないが、あのときはなぜか、自分でも不思議なほどいい質問が次々と頭に浮かび、それをひとつ、またひとつと聞いていくにつれ、直道が確実に「乗ってきた」のが手に取るようにわかった。

 日本とアメリカのコースセッティングの差がクラブセッティングやゲームマネジメントにどんな違いを求めてくるのか。ゴルフのプレーそのものに関わる質問を重ねたあと、直道の心境にも少しずつ触れていくと、彼はそうした質問にはさらに饒舌になった。

「なにが大変ってさ。アメリカでずっとやっていくのは、やっぱりさみしいですよ。夕食だって毎日毎日、マネージャーと向き合ってふたりで食べるだけ。日本食の店なんて滅多にないでしょ? この前、加瀬くん(加瀬秀樹)の奥さんがつくってくれたオニギリをもらって、それをひと口食べた途端、美味しくて懐かしくて、泣きそうになったよ……」

 正直な心境を吐露してくれたのは、スター選手である直道なりのテレビ向けのサービスだったのか。それとも、たまたま話したくなっただけだったのか。しみじみと語ってくれた直道の言葉に聞き入っていたわたしの左手は、いつの間にか震えが止まっていたが、今度は直道の言葉にもらい泣きしそうになり、次の質問をする声が震えた。

「このアメリカで一番したいことはなんですか?」

 すると、直道は、きりりと表情を引き締め、こういった。

「優勝したい。でも優勝するには運も必要だからね。たとえ優勝できないとしても、日本の若い選手が僕に続いてくれるような、直道さんに続きたいと思ってくれるような、そういう選手になって、ここで耐えられるかぎりプレーしていきたい」

 その言葉にグッと来て、わたしはもっと泣きそうになった。

「が、がんばってください……」

 ほとんど涙目で、なんとかそういい、インタビューを終えた。すると、直道が自らすっくと立ち上がり、右手を差し出してきた。

「立派なもんです。いいインタビューだった」

 直道はそういいながら大きくうなずき、わたしの右手を固く握り、インタビューを絶賛してくれたのである。


プロはプロを認める

 まさか、そんな展開になるなんて想像すらしていなかった。出会った途端にあいさつがおかしいと激怒され、インタビューができるのかと怪訝な顔をされ、険悪なムードのなかのインタビューが、最後に褒められることになるなんて。

「ありがとうございます。ありがとうございました……」

 最後は本当に涙がこぼれた。たぶん、安堵の涙とうれし涙の両方だったと思う。褒められたこともうれしかったけれど、どんなに怒ったりイライラしていても、「いいものはいい」と認めてくれた直道の姿勢に、わたしはとってもほっとした。

 なにが起こっても、真摯な姿勢で自分の仕事を全うすれば、認められるのがプロの世界。それは、プロゴルファーもジャーナリストも同じだということを、わたしはこのとき直道から教わった気がした。

 あれから20年近い歳月が流れた今年。松山のラウンドを一緒に眺めながら、この思い出話をボブさんにしたら、残念ながらボブさんは覚えていなかった。

「でも、ジョーがアメリカに来ていなかったら、丸山さん(丸山茂樹)も来ていなかっただろうし、そのあとの日本人選手たちも、きっと来ていなかったでしょ?」

 そう、ボブさんのいうとおりだ。直道は腰を据えて米ツアーに挑む日本人選手の草分けとして、いまの時代には考えられない苦労とさみしさに耐えたパイオニアだ。

 その直道に、いきなり叱られながら取材して、最後には「立派なもんだ」と褒められたわたしは、若かったころのそんなわたし自身をちょっぴり誇りに思っても、いいですよね?

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