連載コラム


"ジョー"尾崎

2014/11/6 21:00

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初優勝から半年で3勝。「よし、このままがんばっていこう」



 1984年。8年目の開幕戦の『静岡オープン』で初優勝した僕は、その後のシーズンでも順調な成績を残していくことができた。

 初優勝からおよそ2カ月後に28歳になった。20歳前後でツアーにデビューし、優勝する選手が増えた現在では「中堅」の年齢だけど、当時は20代はバリバリの若手だった。とくに僕はジャンボ3兄弟の末弟で、長兄将司、次兄健夫よりカラダも小さかったからよけいに「若手」っぽく見えたと思う。「若武者」と呼ばれることも多かった。

 余談になるけど「ジョー尾崎」というニックネームが定着しはじめたのもこのころだ。

 「ジョー」は公募で決まった。この1年くらい前のことだったと思う。シード選手になり、一人前のプロになれたころに契約先の企業が、ファンにニックネームを募集してくれたんだ。

 条件は頭文字が「J」であること。ふたりの兄がジャンボ(JUMBO)、ジェット(JET)だったからだ。それで決まったのが「ジョー(JOE)」だった。

 そのころ「ジョー」で真っ先に思い浮かべるのは、ボクシング漫画の「あしたのジョー」(※編注、原作・高森朝雄(梶原一騎)、画・ちばてつや)だったと思う。叩き上げで、もがきながら強敵と戦い続ける。そんな主人公の生き様は、ゴルファーとしての僕の道と重なるものだった。その意味ではありがたいニックネームをつけてもらえたと思った。ただ、最初はとっても気恥しかった。四国の田舎で大和魂の塊みたいな親に育てられた、バリバリの日本人が「ジョー」と呼ばれるのに慣れるのは大変だったよ。

 ちなみに長兄・将司の「ジャンボ」の由来は、もちろんあの大型ジェット機。ボーイング747と長兄のデビューの時期が近かったためらしい。次兄・健夫の「ジェット」はその打球の鋭さからのもの。ジェットと僕は、ジャンボのおかげでゴルフをはじめて、ニックネームまでその影響を受けていたんだ。

 初優勝はプロにとって記念すべき出来事だ。でも、その喜びの余韻に浸れる時間はそれほど長くはない。すぐに「2勝目はできるのか?」といわれるからだ。

 「1回はマグレでも勝てる。2回勝てるのが本物」

 そんな言葉も耳に入ってくるようになるものなんだ。僕はそういうわれることを嫌わなかった。当然のように受け止めた気がする。

 そんな僕の2勝目はすぐにきた。『札幌とうきゅうオープン』(6月7日~10日)で勝てたのだ。

 舞台は札幌国際カントリークラブ島松コース(6354メートル・パー72)。現在は女子ツアーが開催されている。変化が多く、風を読むのがむずかしい。テクニックが問われるコースだ。前年、つまり僕が大逆転で初優勝を逃した83年は青木功さんが勝っていた。青木さんは86年までにここで3勝を挙げている。僕も88年に2勝目を挙げられた。プレースタイルが合う選手が強さを発揮するコースだった。

 ちなみに84年の優勝スコアは280ストローク。71、69、68、72の8アンダーだった。初優勝からほぼ3カ月後のあことだった。

 それだけでは終わらなかった。その2カ月半後には『KBCオーガスタ』(8月23日~26日)で3勝目を手にしたのだ。

 この試合は1973年からはじまり、現在まで続いている。若いゴルフファンでも、テレビ中継などでご存じの方が多いと思う。

 僕が優勝したのは第12回。舞台は九州志摩CC芥屋コース(6515メートル、パー72)。ここもアップダウンあり、ドッグレッグあり、海からの風ありと変化に富んでいた。優勝スコアは275(71、64、70、70)。トータル13アンダーだった。

 勢いに乗れた。自分でもそう感じていた。別の言葉にすれば「うまくいきすぎている」ともいえる。そして、そのことになんの不安も感じていなかった。

 「よし、このままがんばっていこう」と思えていたのだ。




格段に増した自信。「ミスしてもなんとかなる」

 人生にはいろいろな節目がある。悪いことが起きる時期があれば、すばらしい時期もある。もちろん、よい時期だけが続いてほしいと願うけど、そんなふうにいくことはあり得ない。よしあしの節目は交互に訪れるものなんだ。

 悪い節目がくることは、だれも望んでいない。でも、だからこそ、それが来たらどうするかと考えて、備えておくことが大事になる。そして多くの人はそれを実行している。先を悲観しない楽天家でも、悪い時期にはめぐり合う。それを経験すると「このように対処しよう」という心構えをもつ。そういうことは、ごく自然にやるようになるものだ。

 それに対して、意外に無防備なのがよい時期がきたときだ。すばらしい結果が出た、というときに、それをどう受けて止めて、どのように次につなげていくか。そういう備えは忘れがちなんだ。そのことはゴルフに置き換えてみるとわかりやすい。

 たとえばパー5のホールをプレーしていて、チップインのイーグルが獲れた、というとき。一挙にふたつもストロークが凹んだことに対して、どう思うだろうか。

 「うまくいった!ようし、このままいこう。今日はベストスコアを大幅に更新しよう」と思うのか。

 「うまくいきすぎだよ。このあと大叩きしないように注意しよう」と思うか。

 このふたつには大きな違いがある。2勝目、3勝目を挙げたときの僕は前者だった。

 「ついに勝てた。結果が出せた。このままどんどん勝っていこう」という気持ちになっていたんだ。

 ちょっと不思議に思うかもしれない。足かけ8年でやっと1度勝てたのに「もっと勝つぞ」みたいな気分になれていた、ということなんだから。

 でも、無理にそう考えていたわけじゃなかった。意外かもしれないけど、初優勝のあとの試合はかなり余裕をもって戦えていたんだ。

 僕はシビれやすいタイプだ。だけど1度勝ったらそのシビレがなくなったんだ。勝つ前とは余裕の持ち方が全然違っていた。自分でいうのも変だけど、その変わり方はすごかった。

 たとえばティグラウンドに上がって構えたとき。狙ったとおりに打てる、という自信が格段に増したし『ミスしてもなんとかなる』と思えるようになっていた。

 勝つ前は余裕がなかった。ティショットを構えても苦しさを感じることが少なくなかったんだ。ミスをしたあとのことを考える余裕もなくて、ただ目の前の1打を失敗しないように、ということだけに頭と気持ちが凝り固まっていた。

 でも、その苦しさとは戦ったよ。「負けてなんかいられない!」という気持ちで立ち向かっていった。ただ、そういうことは自分を鍛えるためには役立つけど、結果を残すことにはあまり役立たない。一歩ずつ前に進もうとしても、なかなか進めない、という感覚に苦しむことになるんだ。

 そこから抜け出すには「勝って余裕をもつ」ことが最善の策。だけど、そういう結果がなかなか手に入らない、というジレンマにも陥る。悪循環だよね。


「カタチ」ではなく「球筋」からスイングをつくる

 8年かかってやっと勝てた。場合によってはそんなふうにも考えられる。それなのになぜ僕は「もっと勝つぞ」的な心境になれたのか。正確な理由は自分でも特定できない。でも、思い当たるものはある。いちばん説明しやすいのはスイングづくりの方法だった。

 スイングをどこからつくっていくか。その入口は3つある。

●カタチ(フォーム)
●リズム
●球筋

 多くの人はカタチから入る。それはプロもアマも同じだ。一番理論的で、信頼できると思える方法だからだろう。でも、カタチから入るとなかなか答えが出ない。答えが出るのが一番最後になるからだ。

 バックスイングからはじまって、トップ、ダウンスイング、インパクト、フォロースル―、そしてフィニッシュ。そこまでやって「どんな打球が打てたのか」とボールに尋ねる。カタチから入る練習は、そういう作業になりやすい。だから答えが出るまでにすごく時間がかかるし、途中でなにかが狂うと答えが変わってしまう。スイングがすごく繊細なものだ、という気がしてくるんだ。そうなると「何度でも同じ球筋を打てる」という自信がもちにくくなる。ちょっとしたことで狂いが出ると思うからだ。「昨日は打てたけど、今日は打てなくなった。どこが悪くなったのか?」という原因探しに時間がかかるようにもなる。

 僕は球筋からスイングづくりに入った。

 手にした番手でどんな球筋を打つか。まずはそれを決める。そして、そのためにいろいろなことをやる。たとえばクラブの下ろし方を少し変えてみる。それで求める球筋が出たら「この下ろし方ならあの球筋が打てる」とすぐに判断できる。リズムは、そういうときの「いろいろなこと」の選択肢のひとつだと思う。

 そうして正解が見つかったら、それを繰り返しやる。反復練習してカラダに覚え込ませることで「何度でもこの球筋を打てる」という自信が得られるようになる。

 この自信の差は大きいよ。同じ時間をかけて一生懸命に練習しても、「明日も打てるかな?」と思うのと「明日も明後日も打てる」と思えるのとでは、天地の差になるからだ。

 そんなふうに僕は、自信を育てる方法でスイングづくりができた。球筋という「結果」を見据えながら練習したことが「結果を出す」練習になったんだ。

 そして、そうした積み重ねが節目のときの反応を分けた。自分の技術に自信を植え付けてきた、という自覚があったから、優勝したときに「やっと勝てた」と思うと同時に「やってきたことは間違っていなかった。勝った自信が加われば、この先も、もっとできる」と思えた。

 もしも自信がなければ「やっと勝てた」と思うと同時に、「もう一度勝てるだろうか。自分はチャンピオンらしいプレーを続けられるだろうか」と考えたと思う。そうなったら、次の優勝は遠くなっただろうね。
 結果を出せるように日々の練習に取り組む。このことをぜひやってみてほしい。

 その当時、現役だった帝王ジャック・ニクラスがこんなことをいっていた。

 「マスターズは、その直前にツアーで1勝している人間がとても有利だ」

 僕は「ニクラスも同じことを感じているんだな」と思った。勝っておくと強気になれる。ミスしても全然焦らなくなる。そういうことを初優勝のあとに感じていたからだ。

 「1勝できたら2勝目は転がり込んでくる。そういう流れができる。自分はその流れに乗れている」ということも実感していたころだった。

 一歩ずつ前に進む。それが自分らしい生き方だと思ってきたんだけど、このときは二歩も三歩も前進できた感覚があった。しかも、けっして浮ついてはいなかった。毎日のゴルフはそれまでどおり必死にやっていた。でも、余裕があって、結果もついてきた。

 すごく充実した時期だったと思う。

 そうして結果を残していったことで、僕の目の前には思わぬターゲットが出現してきた。「賞金王」のタイトルが十分に狙える展開になっていたんだ。

 そして、そのことでそれまでに体験したことのない苦しみを知ることになった。

 アッという間に、苦しい節目を迎えたのだった。(次号に続く)



自信を育てる方法でスイングづくりができた。球筋という「結果」を見据えながら練習したことが「結果を出す」練習になった


尾崎直道 おざき・なおみち
1956年5月18日生まれ。174cm、86kg。プロ入8年目の1984年「静岡オープン」で初優勝。この年3勝をあげツアーの中心選手のひとりになる。91年賞金王。93年から米ツアーのシード権を8年連続で守る。97年国内25勝目をあげ永久シード獲得。99年2度目の賞金王、同年史上5人目の日本タイトル4冠獲得。50歳になった2006年から米シニアツアーに参戦。12年は日本シニアツアー賞金王。国内32勝。徳島県出身。フリー。

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