連載コラム

舩越園子の米ツアーレポート

2016年マスターズレポート
ジョーダン・スピースが忘れていたこと

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今年のマスターズは記録より、記憶に残る試合となった。スピースがつかみかけた「2連覇」の栄光は、わずか3ホールで6ストロークを失い、するするとその手からこぼれ落ちた。スピースにいったい何が起きたのか?舩越園子がレポートする。
取材・文/舩越園子




勝利は勝者の敗北は敗者の…



 ジョーダン・スピースが2連覇に王手をかけながら崩れて敗北し、スピースと入れ替わって首位に躍り出たダニー・ウイレットがグリーンジャケットを羽織った今年のマスターズ。劇的な展開で幕を閉じたあの日曜日から数日後、スピースのキャディ、マイケル・グレラーとやり取りをしていた米メディアの一人が、その内容を自身のウェブサイト(ウェイアンダーパー・ドットコム)上で公開し、話題になった。

 そこにはグレラーがアマチュア時代のスピースから受けた衝撃や、その後のグレラーの胸の内が赤裸々に語られていた。そこに記されていた彼のこんな言葉が胸に刺さった。

「勝利は勝者の人柄を表す。敗北は敗者の人柄すべてを表す」

 なるほど。昨年のマスターズ勝利はスピースのさわやかでスマートで優しい人柄を世の中に示し、今年の敗北は彼の人柄すべてを、いや、彼がゴルフをすることの意味さえも表していたように思えてならない。


スピースがゴルフをする「意味」



 グレラーがスピースと初めて出会ったのは、17歳のスピースが全米ジュニアアマで優勝したときだった。そのころ、グレラーはまだミドルスクールで6年生に数学を教える教師。だが、その傍らでスピースの親友、ジャスティン・トーマスのキャディも務めていた。その関係で、グレラーはトーマスを通じてスピースに出会い、その数週間後、今度は全米アマの会場で再び出会った。

 その週、トーマスは序盤のマッチで早々に負け、グレラーのキャディとしての仕事も早々になくなってしまった。そのせいもあって、グレラーはトーマスを負かした相手を内心、憎々しく思っていたという。一方、バッグを担ぐ父親に付き添われていたスピースは順当に勝ち進み、準々決勝へ。そこで対戦したのが、トーマスを負かした"憎々しい相手"だったため、グレラーは「アイツめ、負けろ」と思いながらスピースを応援していたそうだ。

 前半は相手がアップを重ねてリードしたが、後半はスピースが挽回し、勝負は18番へ。スピースがボギーを喫したあと、相手のバーディーパットは70センチに寄った。するとスピースはパーパットを待たずしてキャップを取り、「おめでとう」と相手を笑顔で讃えたという。

 全米アマは優勝者と準優勝者にマスターズ出場資格が与えられる。そんな大事な夢につながる道であっても、相手の健闘を讃え、自らの敗北を潔く認めたスピース。さらには応援してくれた友人たちにその場でお礼までいい、一緒に歩いて応援していたグレラーをその日のディナーに誘ったそうだ。そんなスピース少年を目の当たりにして、グレラーは「ショックを受けた」と告白していた。

 そう、勝っても負けても健闘を讃え合う。それが、スピースのゴルフの原点だった。大好きな父親からイロハを教わり、地元で開催された米ツアー大会を観戦しに行った幼少時代。スピースにとってゴルフは笑顔の源だった。

 障害を持つ妹エリーが生まれてからは、両親のすべてをエリーに向けさせるため、長男スピースはゴルフに没頭した。試合から帰るとエリーがいつも「お兄ちゃん、勝った?」とたずね、負けたと答えても「勝った、勝った」と笑顔で喜ぶ。そんな妹に「本当に勝ったよ」といいながら、笑顔で喜び合いたくて、だからこそ腕を磨いてきたアマチュア時代。それが、スピースがゴルフをする意味だった。


親友トーマスと初のマスターズ



 ジュニア時代からスピースとトーマスはよきライバルであり、親友でもあった。父親も祖父もゴルフのプロフェッショナルというゴルフ一家に生まれ、ジュニア、アマチュア時代に合計125勝を挙げたトーマスは、いわゆるゴルフのサラブレッドで、当時はどちらかといえばスピースよりトーマスのほうが将来を有望視されていた。

 スピースの両親は妹エリーにかかりっきりの時期が長く、経済的にも苦しく、スピースの大学時代は赤貧生活。そこから抜け出したい一心で早々にプロ転向を決意した。

 大学を離れ、何の保証もないまま米ツアーに挑んだスピース。大学生活を終えてからプロ転向する道を選んだトーマス。2人の歩み方はそこで大きく分かれたが、2人の友情は変わらなかった。

 昨年のマスターズ前週のヒューストンオープン最終日の夜、スピースとトーマスはスピースの妹エリーを囲んで3人でディナーを共にした。まだ米ツアーにデビューしたばかりだったトーマスには、その年のマスターズ出場資格はなく、トーマスはその前年に惜敗したスピースに「今年こそは勝ってこいよ」と激励したのだそうだ。

 そうやって親友と妹に励まされ、オーガスタへ送り出されたスピースは、ただひたすら勝利を追い求め、そしてグリーンジャケットを羽織った。

 昨秋、今度はトーマスがマレーシアで開催されたCIMBクラシックで最終日に崩れかけながら終盤に大挽回し、米ツアー初優勝と今年のオーガスタへの切符を手に入れると、スピースは我が事のように喜び、すぐさまツイッターで祝福の言葉を発信した。

 「ナイスな巻き返しだったね」

トーマスもツイートを返した。

 「池に落としたダブルボギーの後の3連続バーディーが誇らしい」

 今年3月のキャデラック選手権では、2人はプロになって以来、初めて米ツアーで同組で回った。マッチプレー選手権では親友対決になった。
そして今年のマスターズでは開幕前のパー3コンテストでリッキー・ファウラーも含めた3人で回り、トーマスとファウラーが同じホールで続けざまにホールインワンを達成する珍事が起こった。

 そのときのスピースは本当にうれしそうに飛び跳ねながら大はしゃぎ。直後に打ったスピースがホールインワンを逃すと、観衆はジョークでブーイングの嵐。スピースはそのブーイングを笑顔で受け止め、「みんなからホールインワンを期待されながらティショットするなんて、こんなに緊張したことはなかったよ」と冗談混じりに語り、うれしそうに笑っていた。

 自分も周囲も心の底から笑い、喜び、幸せな気持ちになる。そのためにクラブを振る。それが、スピースのゴルフの原点のはず。

 しかし、いざ試合が始まってからのスピースからは、そんなピュアな笑顔がすっかり消えてしまい、笑顔は最後まで戻ってはこなかった。


忘れてしまったゴルフの原点



 マスターズを制した去年のスピースと勝ちかけて崩れた今年のスピース。何が一番違ったかといえば、それは4日間における彼の表情と雰囲気であろう。その違いをもたらしたものは、きっと彼の優勝に対する向き合い方の違いだったのだと私は思う。

 去年のスピースは、ただ勝つことだけを純粋に、無心に、追い求めていた。「がんばれ」と送り出してくれた妹や親友のために、自分の夢の実現のために、ただただ勝ちたい。そんなピュアな心を胸に抱き、黙々と勝利へにじり寄り、ついにはそれをつかみ取った。

 だが、今年のスピースは「グリーンジャケットを返したくない」と栄光の印に固執し、2連覇という栄誉や記録を強く意識していた。最高の状態でオーガスタ入りすることを目指していたにもかかわらず、マスターズ直近に成績が上がらなかったため、不調説もささやかれていたが、スピースはそうした揶揄を払拭してやるとも思っていた。

 それらを邪念と呼ぶのは、あまりにも酷だ。突き詰めれば、それらすべてが優勝を目指すこととイコールではあったのだから。けれど、ピュアに勝つことだけを目指した純粋無垢な去年のスピースとは、やっぱり微妙に異なる。それが、イライラした表情でせわしない動きをしていた今年のスピースの姿だった。

 3日間首位を独走し、最終日の前半を終えたときも独走体制。誰もがスピースの勝利を確信していたというのに、なぜ彼は10番、11番、12番であれほど崩れていったのか。なぜ、「魔の3ホール」になってしまったのか。それはきっと、みんなの幸せな笑顔のためにゴルフをするという彼のゴルフの原点を、彼自身が忘れてしまっていたから、ではないだろか。

 冒頭のグレラーの独白の中に、こんなフレーズがあった。

 「終わってみれば、ゴルフはスポーツ。死ぬか生きるかというものではない。マスターズで負けることより、はるかに苦しい思いをしている人々がこの世の中にはたくさんいるのだから」

 それを一番知っていたのはスピースのはず。それを肌身で感じていたからこそ、そういう人々を笑顔にするために、そして自分も笑顔になるために、一生懸命、クラブを振ってきたはず。

 それなのに、あの日、あの週、スピースは自分のゴルフの原点を忘れてしまっていた。それが彼の敗因だったと私は思う。

 表彰式はスピースにとって屈辱の儀式だった。だが、彼は悔し涙をこらえ、笑顔を見せ、ディフェンディングチャンピオンとして今年の覇者となったダニー・ウイレットにグリーンジャケットを羽織らせた。

 その場を離れた後、悔し涙は込み上げたけれど、少なくとも表彰式を終え、メディアの取材を終えるまでは、悔しさと屈辱に耐え、歯を食いしばったスピースの姿。

 なるほど「敗北は敗者の人柄すべてを示す」は真なり。そして、立派な敗者は立派な勝者に、きっとなるはず。

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