教育とは?
朝一番の飛行機に乗り、函館へ行った。朝市ラーメンを食べて、その日のうちに五稜郭やトラピスチヌ修道院を見て、元町で晩飯を食べたら、札幌のビジネスホテルに電話を入れて宿を取り、夜中には到着。翌日は大通公園と時計台を見たら、午後からは小樽だ。名物のすしを食べて、北一硝子のお土産を持って、最終便で羽田に帰る。一泊二日の北海道旅行。
ゴルフ。1カ月前に予約を入れて楽しみにしていたのだが、当日は雨。少しくらいの雨はがまんして笑顔でプレーを続けていたが、雨はますます激しくなる。悪天候のトーナメントのような厳しい環境でもプレーは続く。
釣り。その日は風が強かった。船は出たものの、大シケで海のなかも荒れている。魚は岩場に隠れてしまい、釣れる見込みなし。船酔いと波をかぶって濡れた体。もう帰りたい。
これまでは、とくに若いころは、それでも楽しかったのだろう。一時的な快楽に酔っていたのかもしれない。でも、もう数年で60歳という年になり、これからは本当に遊ぶ年齢になった。函館だったら週末を中心に4日間は費やしたい。退職金があるし、7年前に買った小さなアパートの収入もある。
なによりも時間がある。人生の残り時間は確実に減っているが、当面の1年は時間があり余っている。
ゴルフにおいては、天気がよければ午後から近くのコースでハーフだけまわることもできるだろう。わたしのような暇人はたくさんいるはずだ。釣りだって命懸けで海に出る必要はない。
「There is a seasonunder the heaven.(事にはタイミングがある)」。働くときには働いた。退職はゴールではなく、人生のスタートである。
幸福な老後のためには必要不可欠なもの。それは、健康、相方(友だち、夫婦)、そしてお金である。わたしたちは、社会人になるための教育は受けた。しかし、それでは不十分なのだ。20歳になるまでの教育を受けて、それをもって一生を送ろうとするから、老後で道に迷う。
年金の支給年齢の繰り下げや、若年層の減少など、高齢者の労働力は社会のなかで欠くことのできない要素になりつつあるから、皆が働くべきでないとはいえない。しかし、労働の割合を半分にして、残りの人生を楽しみたい。
わたしたちは、働くために教育を受けてきたと考えてよい。働いて、税金を納め、収入を得ることで国家が維持され、治安が保たれる。だから教育はそう指導するだろうし、国民として保護のもと、安心して生活ができる。
しかし、国家としては、それ以上は教育はしていない。20歳になったら自分で自分の将来を考えなさい、といっているのかもしれない(そうなら明言してほしいと思うが)。
ワッグルの愛読者、ゴルフ愛好家には幸せな老後を送ってほしい。
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