連載コラム

三好徹-ゴルフ互苦楽ノート

名参謀の心構え

2013/4/22 21:00

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 手元にある辞書で「球技」という単語がどのように説明されているか、調べてみた。日ごろ原稿を書く場合に使っている辞書は、二千ページ前後のものが二種。それでたいていの用は足りるのだが、そのほかに三千ページ以上の辞書が三冊ある。難解な論文を書くわけではないから、そんなぶあついものは別になくたって構わない。またワープロに内蔵されていない用語を使えば、かりにルビをつけても、読む側からすれば煩わしいだけかもしれない。ただ、文章をどう解釈するかで何か問題が生じた場合には、やはりその種のぶあつい辞書が頼りになる。で、球技に関してだが、どれを見ても大きな違いはない。ボールを用いて行う競技のことで「用いて」が「使う」だったり、「競技」ではなくて「スポーツの総称」とする説明の辞書もある。そして、どの辞書も必ずその競技種目の実例が出ている。

 五種の辞書の例示で、必ず出ているのは野球である。そしてゴルフは、三冊に出ていても、二冊には出ていない。どの辞書も日本語の権威といわれる学者が責任監修をつとめており、ほかに数名の委員が加わっている。それらの日本語の権威の頭には、四冊に出ているテニス、サッカーよりも、ゴルフは認知度が低かったことになる。日本におけるほとんどの球技は、いや全部といっていいかもしれないが、外来スポーツだから、歴史はそんなに古くはない。ベースボール・ゲームを野球と日本語訳にしたのは明治の俳人の正岡子規だといわれている。

 子規は四国松山の出身で、海軍に入った秋山真之と幼少のころから友人だった。秋山は海軍兵学校を卒業したあと日清戦争に参加し、明治30年にアメリカに留学した。そこで秋山はアメリカ人たちが好んでするスポーツつまりベースボールを知り、留学生たちでチームを作って試合をした。さらに日本に帰国し、日露戦争では連合艦隊の参謀として活躍するのだが、子規にはその前に自分のベースボール体験を語ったはずである。従って子規の「野球」という訳語に関しては、秋山の影響があったのではないだろうか。子規は明治35年に病没するが、秋山は日露戦争のあと明治40年11月に、来日したハワイのアメリカチーム「セントルイス」と慶応大学チームの試合を見に行っている。そして敗れた慶応野球部あてに名前入りでかなり長い感想を書き送っている。その文章で秋山が説いたのは「緊き ん褌こん一番」の心構えである。

 日本人は昔からここ一番というときはふんどしを締め直して勝負に当っていた。それは何も精神のことだけに限らず、じっさいにもそれを実行していた。日本海海戦のときには、自分は愛用のふんどしを締め直して艦橋に立ったし、その効果で身体も軽くなる感じがあった。気持も落ち着くから、体力気力を存分に発揮できる。従って打球は飛ぶし、走塁も速くなり、エラーも減ってくる――と秋山はいう。一般論では、ふんどしを締め直すというのは心理的なことをいうのだが、秋山は肉体的にもいい効果が出る、と体験を語るのだ。現在の日本の男子でふんどしを常用する人はごく少数だろう。わたしが小学生だったころには、逆にパンツの生徒は少数だった。ただしふんどしにも二種あって、秋山のいうのは「六尺ふんどし」といわれたものである。

 日本のゴルフは神戸のイギリス人のコース造りからはじまったというのが定説だが、それがスポーツとして認められ、コースが造成され、プレイヤーがふえてきたのは大正末期から昭和初期にかけてだろう。プロなら宮本留吉、アマなら米国帰りの赤星兄弟が活躍するようになり、アメリカからジーン・サラゼンやウォルター・ヘイゲンらのプロの名手が来日して妙技を見せた。ゴルフの歴史は、アメリカよりもスコットランドを含むイギリスが本場であり、歴史も古いが、20 世紀に入ってからはアメリカがリードした。さびれていた全英オープンがメジャーとしての威厳をとり戻したのは、ベン・ホーガン、アーノルド・パーマー、ジャック・ニクラスらアメリカ人プロたちの活躍のおかげなのである。またかれら以前にボビイ・ジョーンズが勝ったことも効果があった。

 多くの球技の中で、その歴史や伝統のない日本人が短期間で一流になった種目はすぐには思いつかない。野球のWBCは2度優勝したといっても、本場の米国チームが世界1を取りにきていない。テニスは四大トーナメントに誰も勝っていないし、サッカーはワールドカップでベスト8になっていない。ラグビーはニュージーランド相手に全く歯が立たない。唯一の例外は東京オリンピックで女子バレーが勝ったことくらいだろう。ゴルフは、宮本留吉が米国修行のときにボビイ・ジョーンズに勝って、せしめた5ドル札にサインを貰ったエピソードを残しているが、あくまでも試合ではないし、ボビイはすでに引退していた。1957年にカナダカップで中村寅吉、小野光一チームが世界1になったが、そのあとは不振である。ただし伊沢利光・丸山茂樹チームがワールドカップで優勝しているが、それだけのことだった。マスターズに出るのがゴルファーを志したときからの夢というプロは多いが、どうも後が続かない。

 そこで石川遼の登場である。アメリカを主戦場にするつもりだというが、わたしは、秋山流の緊褌一番を身につけて実行してもらいたいと思うのである。日本のツアーのこともあるから何とか時間を作って戻ってきて重要な試合に出たい、という意向らしいが、それはよくない、といいたい。日本ツアーの盛り上げは若い後輩や藤田寛之、谷口徹らの先輩に任せておけばいい。若い現在の体力をもってしても、石川は欧米の一線級と五分に戦うのはしんどいと思う。日本ツアーのことなどは棚上げしても構わない。20代の体力は10年後にはなくなっている。ゴルフという競技には、野球やサッカーのようなチームメイトはいない。仲間に気を配る必要もない。石川にとってもっとも必要とすることは勝つことなのだ。それにはどうすればよいか。考えるのも実行するのも自分独りなのである。

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