界の成功者に秘訣をたずねると、わりあいに多いのが「運、鈍、根」という答えである。おれに才能があったからさ、というような返答をする人は多くない。というより、ほとんどいないと思うが、皆無ではない。サラリーマンの一年分の給料に匹敵する金額が家賃だという、豪華マンションに住む人が、全ては自分の能力によってかせいでいる、といった例もある。金儲けの手段はいろいろあると思うが、法に触れない限りは自由である。他人がとやかくいうことではない。しかし、成功とは金を儲けることだ、という考えはどうにも現実的すぎて、ロマンの香りに欠けてい 実業界の成功者に秘訣をたずねると、わりあいに多いのが「運、鈍、根」という答えである。おれに才能があったからさ、というような返答をする人は多くない。というより、ほとんどいないと思うが、皆無ではない。サラリーマンの一年分の給料に匹敵する金額が家賃だという、豪華マンションに住む人が、全ては自分の能力によってかせいでいる、といった例もある。金儲けの手段はいろいろあると思うが、法に触れない限りは自由である。他人がとやかくいうことではない。しかし、成功とは金を儲けることだ、という考えはどうにも現実的すぎて、ロマンの香りに欠けている。
前に読んだ逸話集に、自動車を開発し、米国一の大富豪になったヘンリィ・フォードの最晩年のエピソードがある。胃腸を悪くして医師のきびしい監督の下で食生活を送っていたが、それも限度にきて、医師が何か欲しいものがあればおっしゃって下さい、といった。金で買えるものは全て手に入れたし、子や孫にも恵まれた。金では手に入らない何かがあるのではないか、と医師は推測したのだ。
フォード一世はうなずいた。医師が何でしょうか、と問うと、「血のしたたるようなビフテキを食べたい」
という返答だった。医師の指示する食事のメニュは、日本でいえばおかゆのような食品ばかりで、それがもう何年も続いていた。フォード工場で働く労働者は、毎晩ではないにしても、ビフテキを食えた。しかし、フォード一世は医師の判断で一きれの肉も食卓にのせられなかった。一言でいえば、健康もひいては寿命も金では買えないのである。前記の豪華マンションに住む成功者は、金で買えないものはありません、と週刊誌でタンカをきっていたが、底が浅い俄か成金だとわかる。
またアメリカの財界誌で富豪百人に入った人物がゴルフ好きで、車では2時間かかるゴルフ場へ往復するのにヘリコプターを使うと語っていた。日本では、ゴルフコースの往復にヘリコプターを使うのは珍しいし、誰にでもできることではない。しかし、そのヘリが自家用ではなく、チャーターだから、欧米の富豪からすれば大したことではない。
ハワード・ヒューズというのは、アメリカンドリームの典型といってよい人物で自分も飛行機を操縦したし、TWAという航空会社も作った。ゴルフの腕前もかなりのもので、ロスの名門リビエラCCのヘッドプロからみっちりレッスンを受けた。ハリウッドのベルエアCCは名門コースとして知られているが、そこの会員だったし、つきあいのあった女優のキャサリン・ヘップバーンとしばしばコースでデイトした。ある日ヘップバーンは約束の一時間前にきたのに、ヒューズはなかなか現れなかった。しかし、その5分前に軽飛行機がコースのフェアウェイに不時着した。正確には、不時着ではなくて、機体から出てきたのはゴルフの支度をしたヒューズだった。ヘップバーンは、スペンサー・トレイシーという妻子もちの渋い男優と中年になってから夫婦同然の生活をするが、若いころは奔放だったらしい。ヒューズはのちにジーン・ピータースという若い女優と結婚したが、名門のベルエアCCはなぜかヒューズを除名できず、2000ドルのコース補修費ですませた。
ヒューズはいろいろと伝説のある人物で、女性同伴であるコースに現れてプレイしたいと申し入れた。支配人が会員ではないことを理由にことわった。同伴していた女性の前で恥をかかされたことになる。翌日、ヒューズが女性同伴でまたやってきた。支配人が呆れ、「あなたをプレイさせることはできません。入会したとは聞いていませんから」
とことわった。するとヒューズは、「ノウ・プロブレム。会員ではないが、このコースのオウナーになったから」
といったというのだ。
日本で欧米の富豪に張り合うことができたのは、三井、岩崎の一族、大倉喜八郎、東京大学に安田講堂を寄付した安田善次郎くらいのものだろう。大倉二世の大倉喜七郎がゴルフ好きで伊豆半島に作ったコースが川奈である。アリソン設計の富士コースは世界的にも評価は高い。ただしプレイできる人は付設のホテルに宿泊した人に限られる。そのやり方では大衆的とはいえないが、古いコースの中には、大衆的であることを拒絶するのが名門の伝統的条件だと思いこんでいる場合がある。
その点はアメリカも同様で、マスターズの舞台になるオーガスタ・ナショナルは、ふだんはメンバー同伴がプレイの条件である。ただ、マスターズの前に、すでに招待状を受け取っている選手は、キャディといっしょにプレイできる。例外は、トーナメント最終日の翌日に40名限定で報道陣から各社一人が招待される。むろん抽選で決めるといわれているが、非公開だから本当はどうやって選んでいるのかは不明である。また、それとは別に関係者もプレイが許されている。
全英オープンや全米オープンで使われるセントアンドリュース・オールドコースやペブルビーチは誰でもプレイできる方式だから、民主的というべきである。わたしの考えでは、ゴルフというスポーツはきわめて民主的であり、いかに金があってよい用具を使っても、ダメなものはダメなのである。
新しい用具やボールなどの広告を見ると、このドライバーとボールを使えば少なくとも20ヤードは前より飛ぶのだろうか、と思わないでもない。ゴルフをはじめたときから、新製品には関心があった。同じころにはじめた仲間に負けたくなかったせいもある。新しい打ち方を解説した本などは必ず読んだ。しかし、そういう執着心が年とともに薄くなってきたことは確かであるが、古代中国のことを調べていたときに、孔子や孟子の遺した言葉を目にして、以前ほどシャカリキにならなくなった。そういう言葉はいくつかあるが、大叩きしたあとの気分転換にきくのは、
「死生二命有リ、富貴ハ天二在リ」
である。
なんだ、ゴルフとは無関係じゃないか、といわないでいただきたい。死生とはショットのことであり富貴とはスコアのことであるとお考えくだされば、なにをいいたいかがおわかりいただけるだろう。
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