連載コラム

三好徹-ゴルフ互苦楽ノート

ゴルフ解説余話

2013/8/14 21:00

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 ゴルフ・トーナメントが茶の間にいてTVで観戦できるようになったのは、いつごろからだろうか。松山英樹が最終日に3アンダーを出して10位タイに入った全米オープンを寝ころがって見ているうちに、ふとそう思ったのだ。全米オープンのTV中継となると、もっとも記憶に残るのは、ジャック・ニクラスと青木功の激闘である。予選ラウンドの2日間は、ニクラス、青木のほか全米オープンに勝ったことのあるプロとの3名でラウンドし、3日目からはその成績によって2名1組のラウンドになる。青木はトップを続けるニクラスをぴったり尾けて3日間を終え、最終日は両者のマッチプレイの様相を呈した。

 それを中継したのはNHKだった。四大メジャーの中でもっとも人気があるのは4月のマスターズで、これはかなり以前からTBSによって中継されていた。スポーツは原則として同時中継だから、アメリカと日本との時差によって日本のTVでは夜明け前からの中継になる。ビデオをセットしておけば、そんな時間に起きている必要はないが、そこは性分で、よほどのことがない限りは寝ずに見ることが多いのである。といっても、海外のメジャーでは、日本人選手の出場者は多くない。マスターズなら3名が限度である。ことしの全米オープンに4名が出られたのは、日本地区の予選会で外国人選手より成績がよかったからだ。

 ナショナル・オープンとしてもっとも歴史の古い全英オープンは、第1 回が1860年だから、日本では万延元年になる。日本のゴルファーが参加することに熱意を見せはじめたのは、1970年代に入ってからだった。鈴木規夫がイギリスでの地区予選をパスして出場し、初日にトップに立ったから新聞に出た。最終日には10位タイで翌年の出場権も獲得した。パーマー、ニクラス、ジョニィ・ミラーらが出て勝っていたから日本の若手も出場に意欲をもちはじめた。イギリス側は、日本の出場枠を拡げて賞金ランク5位までとした。ところが、日本のランク上位の大物プロが、イギリスのコースは自分のゴルフに適さないという理由で出場しなかった。彼は飛ばし屋だが、その長打力もスコットランドのラフには通用しなかった。日本のコースの浅いラフに慣れたゴルフでは、全く歯が立たなかった。本人にしてみれば、招待されたが、出場しませんよ、というだけのことかもしれない。招待状を出した側からすれば、やはり不快感をもったのではあるまいか。四大メジャーの中でも最古の歴史をもつ試合の招待をことわるプロがいるなんて、主催者にすれば信じられなかったに違いない。間もなく日本の招待枠は減らされた。

 日本からスコットランドまで往復の旅費、宿泊費、現地でキャディを調達するなら大したことはないが、もし日本から連れて行くなら、その費用もある。また賞金は、現在ほど多くはなかった。しかし、メジャー勝者の栄誉は費用の問題ではないから、現在では資格のあるものは全員が出場している。また全英オープンは、アウトインの同時スタート方式は採らないから、最終組のスタートは午後4時ごろになる。イギリスのBBC放送のスポーツスペシャルは、第1組から最終組まで放送している。何しろ暗くなるのは夜10時ごろなのである。

 アメリカのTV局による全米オープン中継も長時間放送だが、今回日本ではゴルフ専門局が夜10時から翌朝8時までの10時間放送を実行した。日本のゴルフ・トーナメントのTV放送としてはこれまでになかった長時間放送だった、と思う。ただ、出場した日本選手は4名だけで、現地の局から映像を分けてもらう方式だし、アナ氏もコメントする人も現地にいないから、TVの画面がどうにももたない。また、放送なれしていないためか、解説者の一人が「この人は長距離打者といわれておりますが……」という言い方をしたので、びっくりさせられた。ロングヒッターを日本語にすればそうなるが、打者は野球用語であって、ゴルフ用語ではない。そのうち中距離打者という言葉も出た。実は、日本でゴルフの試合がTVで最初に放送されたのは、1957年10月24日から4日間の第5回カナダカップ(霞ヶ関CC)の試合だった。参加国30、各国2名の選手で、選手の合計ストロークによって決するのだが、そのチームストロークとは別に選手個人に対しても賞金が出た。

 米国チームはサム・スニードとジミー・デマレ(マスターズに3回優勝)である。日本は中村寅吉と小野光一。アメリカ代表は前回のロンドン大会でスニードとベン・ホーガンのチームで勝っていた(個人はホーガン)。しかし、ホーガンは外国行きを好まなかった。一度だけ先輩のジーン・サラゼンにいわれて全英オープンに出た。一ヶ月前に会場のカーヌスティに行き、サラゼン紹介のキャディを登用して勝った。カナダカップで英国へ行ったのは、米国が第3回まで勝てなかったので、重い腰を上げたのだ。この日本での大会で日本チームは勝ち、個人は中村が優勝した。TV中継は日本テレビで、午前9時から正午まで、そのあとニュースなどがあって午後1時40分から午後3時半ごろまでだった。当時のTV局は、日本テレビのほかNHKとTBSの3局。ビデオはなかったから、ニュース映画をコピイしたものが15分くらい残っているだけ。解説はベン・ホーガン『モダンゴルフ』の訳者・水谷準と外国のゴルフ事情にくわしいアマの金田武明。中村の4日間274打は新記録だった。わたしは水谷さんから裏話を聞いたことがあったが、今回の4日間40時間の全米オープン放送をすべて見たわけではないとしても、時間をもたせるための解説者の雑談には感ずるものがあった。練習ラウンドは張り出された用紙に名前を書けばよい。例えば8時スタートの枠にバッバ・ワトソンと書いてあり、その枠に空きがあれば自分の名前を書くのだ。ある日本人選手がワトソンと記入された枠の空白に自分の名前を書いた。これで彼と練習ラウンドができるはずだった。その日の朝に1番ティに行って彼を待った。ところが彼はこなかった。理由はわからない。

 わたしは今後バッバ・ワトソンを応援しないことに決めた。何かの理由でこないなら、代理人でもいいからよこして詫びるのが礼儀ではないの




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