連載コラム

三好徹-ゴルフ互苦楽ノート

全英のあとには・・・

2013/8/30 21:00

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 松山英樹の全英オープン6位は、スポーツ紙だけではなく、一般紙のスポーツ面でも大きく報道された。政党の機関紙である「しんぶん赤旗」のスポーツ面でも、トップのオールスター野球第3戦の「全パ逆転勝ち」に劣らぬ4段抜きの「松山自信の6位」という大見出し記事である。一般紙やスポーツ紙は、現地に出張したゴルフ担当記者の書いた文章だが、「赤旗」は「時事通信」のものである。むろん内容は他紙と大差はないが、わたしがいいたいのは、「赤旗」でさえ松山の成績を大きく報じた点に、いささかの驚きがあったことである。

 ゴルフが日本に到来したのは明治時代の末期だが、18ホールの本格的なコースができたのは大正時代の後半である。1922年(大正11年)にイギリスの皇太子が来日して日本の皇太子と駒場コースでプレイをした。イギリス皇太子はのちに王位を継いでエドワード八世となり、日本の皇太子は昭和天皇となるが、エドワード八世は十一ヵ月後に王位を弟のヨーク公に譲ってバッキンガム宮殿を去った。ヨーク公はジョージ六世となり、長女が父の没後に即位して現国王のエリザベス二世となった。退位した前国王はアメリカ国籍のシンプソン夫人と結婚した。彼女はカナダ人のアーネスト・シンプソンの妻だったが、すでに40歳を超えていた。ゴルフとは全く関係ない話であるが、当時は世界各国の新聞社会面をにぎわした大事件だった。ただし、日本ではくわしい報道はなされなかった。英国の王室と日本の天皇家とは親しい関係にあったから、日本政府が英国王室のスキャンダルの報道にブレーキをかけたのだ。そのころは報道の自由はなかった。政府は報道機関に発行禁止を命ずることができた。

 英国王家にはゴルフ愛好家が多かった。ゴルフ場にローヤル(王の)のつくコースは、王室の認可を得ているもので、他のコースとは格が違うことを誇示している。何しろ全英オープンの第1回は1860年(万延元年)だから、いろいろなスポーツの世界選手権もその歴史においては全英オープンに遠く及ばない。オープン名の試合は、誰でも実力さえあれば出場できるシステムにしているから、オープン名なのである。今回の松山が出場資格を得たのは、極東地域の予選会に出て4位内に入ったからで、そのときはまだアマチュアだった。6月の全米オープン10位になる前で、その点では、他のプロたちよりも四大メジャーに挑戦し、トップランクの列に加わろうという意志において、松山は誰よりも上だったといえる。アマのときアジアアマチュア選手権に出たのも同じである。2年続けて1位で出場権を得たことは、ある意味ではプロも及ばないことだった。

 全英オープンも地区予選から出て資格を得た。それで来年の出場権も得たから、大したものである。日本オープン1位、賞金ランク1位と2位も出場資格を与えられるし、それも簡単に達成できることではない。どちらが上か、それは誰にも決められないことだが、オープンや賞金ランクの1位の方が困難だろう。もっとも、ランク1位は何年か続けることは可能で、過去に何人かの実例がある。しかし、日本オープンの場合は、連覇はかなり困難である。その点は全英オープン全米オープンも同じなのだ。

 松山をめぐる記事を読むと、彼の究極の目標はメジャーに勝つことだ、と報道されている。それが本心からのものか、記者たちの誘導尋問によって出てきたものか、筆者にはわからない。

 インタビュウというのは、実はかなり複雑でデリケートなもので、質問する記者の方は、なるべく威勢のいい答えを引き出そうとする。例えば世界ランク15位くらいに入ったプロに、次にめざすのはランク1桁ですね、と問うとする。答える方は、15位でも気分は上ついているから、どうしたって、はい、当然です、という答えになる。それが活字になると、自信たっぷりに、1桁ではなくて1位をめざす、といったことになってしまう。

 松山英樹という若いプロの“人間 ”について筆者は何も手がかりを持っていない。ゴルフ仲間の作家の一人が、練習場で挨拶されたことがあるそうで、礼儀正しい、いい若者でしたよ、とその印象を語ったことがある。その作家本人が大学の運動部を体験してきており、文壇社会の先輩に対しては丁重である。態度や物腰は人物評価のカギの一つになるが、やはり自分の目で見るしかない。推測になるが、松山の威勢のいいコメントは、前述のような問答だったのではあるまいか。

 心の中で、いまにタイガーやミケルソンの上を行くゴルフをするぞ、と思い、胸にその決意を秘めているにしても、それは口に出すものではない。ミケルソンは、スコットランドの全英オープンは20回近くも経験していたが、初日の前には(今度こそ)とは思っていたとしても、最終日のスタート前は、闘志はあっても、難グリーンを征服できる自信はなかっただろう。というのも現に2メートルから4パットしてダボになったホールもあった。

 松山が次のメジャー全米プロにどういう心境でのぞむかは不明だが、どのメジャーでもパットのいい方が勝ち、1回でもミスしたものは勝てない。むろん、バーディ可能なところに球を打つショットの力も大切だが、勝つときは10メートルでも入るし入れてしまう。タイガーのメジャー14勝の全てをTVで見たわけではないが、全米プロやオールドコースの全英で、びっくりするようなロングパットを決めていた。

 タイガーは、ことしのメジャーでのパットは、パーマー招待やニクラス招待のパットとは比べものにならない拙劣さだった。なぜあれほどショートするのか。首をかしげることが多かった。全米プロのコースは彼も知っているコースだから、ミュアフィールドとは違うだろう。松山の場合も、全米プロのカギを握るのはパットである。本当はその前週のWGC(ファイアストーン)を休んで全米プロの会場オークヒルで練習すべきだと思うが、諸種の事情で出るらしい。この事情なるものは人気者にはつきもので、タイガーもそうだったが、彼はつねにそれを退けてきた。その非情さも強さの一因ではあるまいか。



三好 徹
1931年東京生まれ。読売新聞記者を経て作家に。直木賞、推理作家協会賞など受賞。社会派サスペンス、推理、歴史小説、ノンフィクション、評伝など、あらゆる分野で活躍。ゴルフ関連の翻訳本や著書も多い。日本の文壇でゴルフを最も長く愛し続けてきた作家。

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