ゴルフを一緒にはじめた作家仲間のだれよりも先に達成できることといえば……
「格言」というよりも「俚諺」ないしは「俗諺」というべきだろうが、「好きこそ物の上手なれ」ということばがある。日本語の辞書としては定評のある一冊によると、それは「好きなればこそ、あきずに努力するから、遂にその道の上手になる」ということをあらわしていることばである。ただし、これは格言には分類されない。格言というのは不変の真理を含んでいなければならない。例えば「生あるものは必ず死す」とか、世俗的なものならば「蒔かぬ種ははえぬ」などがそうである。一方の俚諺や俗諺は、世間一般に使われていることわざであっても、絶対的な真理とはいえないものである。つまり、好きであることは確かなのだが、どういうわけか上達しない人もいるのだ。
わたしと同じ年代の作家三人がゴルフをはじめたのは、今から三十年以上前のことだが、三人とも昭和ヒトケタ生れで、人間形成にもっとも影響のある十代は、戦争のさなかだった。小学生のころに日中戦争がはじまり、戦争に敗れたときは、三人のうちの二人(わたしも入る)は、軍隊の学校に在学中だった。三人の中で一番若い人は、自分もそうするつもりで、受験勉強中だったという。在学中の二人は、その年の4月に入校したばかりで、軍隊生活といっても、一般市民が召集されて軍隊に入った状況とは違う。
その場合も、陸軍と海軍とでは、大きな差があった。良い悪いではない。文壇ゴルフではわたしたち三人よりもかなり先輩になる城山三郎さんは故人になられたが、同じ期間の軍隊生活であっても、ひどい違いがあったのだ。城山さんは出撃すれば必ず死ぬ攻撃隊の一員になるためにきびしい教育を受けた。教育ではなくて訓練なのだが、現実には訓練と称する私的リンチの日常だったことを城山さんは作品中に書いている。それはともかく、城山さんより約10年は遅くゴルフをはじめた三人は、それまで気分転換の遊びとしては、マージャンをすることが多かった。マージャンは四人のプレイヤーが集まらなければ成立しない。三人とも月刊誌に作品を発表し、それとは別に新聞や週刊誌に連載していたが、仕事の合い間にもう一人を加えてマージャンで遊ぶことが多かった。夕食が終ったあとに都心にあった旅館に集合し、たいていは翌朝まで戦った。マージャンは、碁や将棋とは違い、多少ともチョコを賭けなければおもしろくない。
三人が同じ時期にゴルフをはじめたのは、ある出版社の役員に誘われたからだが、それまでは多くの人がそうであるように、ゴルフには反感を持っていた。文壇ゴルフに出るようになってからだが、ある先輩作家から年齢を聞かれたときに、
「きみらは運がいいな。わしらは、その年代は家族を食わせるために食糧の買い出しそのほか、ゴルフどころじゃなかったものな」
といわれた。わたしはつい反撥した。
「そのころは学校へ行く代りに、農村まで買い出しに行ったりしたのは同じですよ。せっかく何とか調達して帰ってくる途中、運悪く警察の取締りにあって没収されたこともありました」
といったものだから、ラウンドの終るまで口をきいてもらえなかった。あるいは、出版社のベテランから、
「練習しないとダメですよ。10万発を打てばシングルになれる、といわれているから」
といわれたことがある。わたしは、ゴルフをはじめたときに、コンスタントに90前後のスコアで回れる技術をもちたい、とは思っていたが、シングルになりたいとは思っていなかった。三人のうちの一人が、何かのときに、オレはシングルにならないうちは死ねないよ、といったので、こういってしまった。
「それじゃ、いつまでたっても死ねないな」
それでみんなが大笑いしたものだが、彼の口に出した「シングルにならないうち……」の一言は、もちろん本心からのものではなく、座興の一言にすぎないのだが、それなのに、なぜか真剣な願望の感じがあったのも事実である。
わたしたち三人とも、もっとも熱中したときには、冬は沖縄、夏は北海道へゴルフ旅行に出かけた。出版社のゴルフ好きも参加したから、たいていは二組、ときには三組になった。むろん、お互い同士の握りは行われた。といっても、刑法百八十五条のいう「一時の娯楽に供する」範囲内である。芸能人の中には、乗ってきた車を取られて帰りは電車になった人もいる、と噂に聞いたが、そういう賭けはしない。もしそういう大きな賭けをすれば、人間関係に歪みが生じてくる。
わたしたちは、同じくらいに上達した。つまり90を切り、80台でラウンドできるようになったのは、ゴルフをはじめて5年後くらいだった。もっとも早くに90台のスコアを出したのは、軍隊の学校には間に合わなかった作家であり、もっとも早くにホールインワンを達成したのは海軍の学校で終戦を迎えた作家だった。わたしは、その二人より遅れて90台のスコアとホールインワンを達成した。
そうなると、かれらよりもゴルフで先に達成することは何かないだろうか。
シングルになるのはどうか。それは可能性なしである。ふと思いついたのは、外国でプレイすることはどうか。それもふつうのコースでは意味がない。オーガスタ・ナショナルなら二人をアッといわせるに違いない。
結論をいうと、わたしはそれを達成できたし、それも2回もあのコースでプレイしたのだが、別に感激はしなかった。確かにおもしろいコースではあるが、あれが世界一だという気はしない。それはゴルフについてある種の「諦観」に達したからであって、「悟り」を得たわけではない。前号でこの二つの単語の意味は同じではない、といったが、それは格言と俚諺の差といってもいいだろう。わたしは好きで上達した一人だと思うが、残念なことに年齢には勝てないのである。
三好 徹
1931年東京生まれ。読売新聞記者を経て作家に。直木賞、推理作家協会賞など受賞。社会派サスペンス、推理、歴史小説、ノンフィクション、評伝など、あらゆる分野で活躍。ゴルフ関連の翻訳本や著書も多い。日本の文壇でゴルフを最も長く愛し続けてきた作家。
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