連載コラム

三好徹-ゴルフ互苦楽ノート

ドライバーかパターか

2015/4/3 21:00

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スコットランドで「賭けゴルフ」が当たりまえなのはかれらが狩猟民族だからであり…



 春になると、ゴルフ界最初の大試合はマスターズである。選手にいわせると、マスターズに勝つのがゴルファーとしての夢だ、という人が多い。多分いわゆるグランドスラム最初の関門だからであろう。そのあとには全米オープン、全英オープン、全米プロと続く。これがテニスになると、四大試合は錦織圭の活躍で注目された全豪オープンにはじまり、全仏、全英、全米とある。それぞれの国の競技の歴史からいっても、アメリカ中心の四競技よりもバランスがとれている。錦織は昨年に全米オープンの2位まで達したが、惜しいことに決勝で負けてしまったのだ。

 ゴルフでは青木功が全米オープンで2位になっている。決勝の相手はジャック・ニクラス。青木は予選の初日、2日目ともニクラスと同組で、3日目からは順位に従う組合せになるのだが、ニクラス1位青木2位で、さらに最終日も1、2位の同組になった。確かな記憶ではないが、4日間ともNHKが放送した、と思う。わたしもTVの前に座り続けた。

 アメリカのマスターズ・トーナメントは、それより前に民放で中継するようになっていて、わたしもゴルフをはじめてすぐに関心を持つようになった。ゴルフ場の景色は、どのコースでもTVでは美しく見えるものだが、マスターズの舞台であるオーガスタ・ナショナルは、特別だった。他の大試合は毎年コースが変わるが、青木が健闘したバルタスロールも名門コースといわれているそうだがTVで見るものにとっては、一回だけの観戦だから、格別な印象というものはない。

 日本のTV局が海外の大試合を中継するようになったのは、やはり日本の選手が出場してある程度の成績を出すようになってからのことである。もっとも歴史の古い全英オープンだって、鈴木規夫がスコットランドへ遠征して予選を突破し、初日にトップに立ったことで、ゴルフファンも注目しはじめた。やがて英国側から、日本オープンの勝者に対して招待状が届くようになったのはそのあとからで、鈴木の功労は忘れてはならないのである。そのあとは招待されても、イギリスのコースは自分のゴルフに合わない、といって、出場しなかったプロもいたのだが。

 世界でもっとも歴史のあるコースといわれるセントアンドリュース(スコットランド)オールドコースの18番の脇にある全英ゴルフ協会に、わたしもコースをプレイしたあとに行ってみたことはあるが、外見は地味なもので、ゴルフの総本山といういかめしさは感じられなかった。もともとゴルフはイングランドのものではなくて、スコットランドのものだった。その二つはどう違うのだ、双方ともイギリスじゃないのか、という人もいるだろうが、かつての日本が箱根山の東と西とは別の国のように違っていた状態と同じようなものなのである。

 豊臣秀吉は天下をとると、最大のライバルになると思われた徳川家康を箱根の東に追いやった。彼の主君の信長が京都を中心に中国、九州まで統治下に置き、天下統一を完成しようとしたから、今の関東地方をさほど重視しなかった。家康にしてみれば、本拠の三河を出て相模の国へ行けといわれても迷惑な話だったのだ。まア、そういう歴史はさて措き、ゴルフが、わりあい気象の安定したイングランドよりも、一日のうちに春になったり冬に戻ったりするスコットランドで人びとに好まれたのは、その気象の変転のおもしさと密接に関係している、と思う。

 スコットランドでは、スタートしたときには晴天だったのに、ハーフも終わらぬうちに強い北風が吹きはじめ、すぐに叩きつけるような雨になる。グリーンが水びたしになったらプレイもできないからやめようとすると雨はやみ、さらに雲も消えて風もおだやかになる。だからスコットランドの人たちは、そういう激しい転変がゴルフの本質であり、われわれの人生そのままじゃないか、とかれらはいうのである。また、農耕民族(日本がその典型だが)を主にした東洋系とは違い、狩猟民族系のかれらは賭けごとは生活の一部みたいなものだから、賭けないゴルフはゴルフではないことになる。ホールごとに賭けたり、ハーフあるいはトータルスコアで、そのほか賭け金を変化させるなど、さまざまな賭け方を考え出した。こんなにおもしろいゲームはない、と人びとが熱中し、ついには仕事も放り出してゴルフをするゴルフ狂もふえたので、たまりかねたスコットランドのメリー女王がとうとう禁止令を出したというエピソードもあるのだ。

 このあたりは民族性で、わたしたち農耕民族の日本人には、よくわからない。狩りに出て行き、ウサギなどを獲得して家族のもとに戻るのが主人の仕事である、といわれても、そういう当てのない食糧の獲得手段をやめて、種を蒔けばあとは天候と大地が恵みをもたらしてくれるじゃないか、と考える方が主人として責任を持てる。つまりどちらがよいか悪いかではなくて、大げさになるかもしれないが、種の保存についての責任の持ち方の問題である。

 ゴルフでは予期しないことが起こる。いいショットだったのに、フェアウェイに落ちていた石ころにぶつかってバンカーに入ったりするが、反対にミスショットだったのに木にぶつかってグリーンにのったりする。その点ではギャンブル的で、狩猟民族にふさわしいゲームらしく思える。わたし自身、ゴルフをはじめた後はそう感じていた。しかし、40年も経ってみると、現在では農耕民族に適したゲームではないだろうか、と思いはじめている。というのはゴルフをはじめた甥に、一番大切な用具は何ですか、と質問されたとき、パターだよ、と答えたあと独りになってから迷ったのだ。

 パターの重要さはもっとも使用回数の多いことからも明らかであるが、前にあるプロから、ウッド一本で70台のスコアを出すのは可能だが、パターだけでは90を切れない、と聞いたことを思い出したのである。用具の使用回数は重要さのメドになるだろうか。わたしの考えは次回にするが、読者諸賢にも考えて頂きたい。

三好 徹
1931年東京生まれ。読売新聞記者を経て作家に。直木賞、推理作家協会賞など受賞。社会派サスペンス、推理、歴史小説、ノンフィクション、評伝など、あらゆる分野で活躍。ゴルフ関連の翻訳本や著書も多い。日本の文壇でゴルフを最も長く愛し続けてきた作家。

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