連載コラム

三好徹-ゴルフ互苦楽ノート

いまいましいことに

2015/9/2 22:00

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ゴルフをすすめてみた後輩作家がいうには、ドライバーはバカバカしいけど、パットは…



 わたしがゴルフをはじめたのは一九七五年の秋だった。ちょうど40年前で、そのときは仲のいい同業の二人もいっしょだった。ある出版社の社長が「作家には気分転換が必要であるが、あの人たちは銀座のバーか、集ってのマージャンばかりで、身体にはよくない。健康のためにも、ゴルフが一番よい。青空の下を新鮮な空気を満喫しながら歩く。座業で弱っている足腰のためにも効果的である」といってわたしたち三人にゴルフクラブをプレゼントしてくれた。

 確かにわたしたちは締切りが終ると、集ってジャン卓を囲むことが多かった。徹夜になることも決して少くなかった。負けている者から、せめてあと2回、頼むよ、といわれると、拒むわけにはいかないのである。わたしは、現在はタバコをやめているが、その当時は、マージャンの間は喫い続けていた。まァ、健康によくない、とは承知していた。そんなこともあって三人ともゴルフをはじめた。出版社の社員が車で迎えにきてくれたから、ゴルフ場への往復は楽だった。今ほど宅配便が普及していなかった。わたしは、車の免許を持っていなかったが、あとの二人は持っている。その一人が神奈川県方面のコースに行くときは、拙宅に寄ってくれる。また三人ともその方面のコースに入会した。

 本当のことをいうと、最初のころは、ゴルフを長く続けるだろう、とは思っていなかった。一人でコースに行き、知らない人とラウンドするのが、わたしには億劫だった。それをしなければ上達しない、と先輩からいわれた。いわゆる文壇ゴルフの当時のリーダーは丹羽文雄さんだった。夏に軽井沢で顔を合わせているうちに、下手な人たちが教えてもらうようになり、それが丹羽学校と呼ばれる作家グループの誕生につながった。文筆家というのは、もともと他人といっしょに何かをするのを好まないのである。仕事というのは机に対して原稿を書くことだから独りぼっちなのだ。それが一段落して生じた自由時間をどう使うか、それはこの生活を長く続ける上でも大切なことなのである。本当に疲れたときにはコンコンと眠るが、目が覚めたらどうするか、次に書くまでの時間をどう使うか、それはそれなりに難しい問題なのだ。

 ゴルフはその点でかなり有効な手段のように思える。マージャンははじめると終了させるのがけっこう厄介なのだ。半チャン4回、と互いに決めていても、負けた者から「陳情です……あと2回」といわれると、やはり承知せざるを得ない。また、何がナンでも勝たねばならない、というものではない。そういう生活のかかったマージャンやカードゲームは、わたしたちはしない。かりにマージャンにしろカードにしろ、その道のプロが参加してきたら、わたしたちは手も足も出ない。かれらは、カードやマージャンパイのすり変えなどは、その気になれば自由自在にやれるのだ。もちろん同席しているアマチュアにはわからない。

 もう20年以上も前のことだが、ある席でマージャンのプロの加わった会があった。わたしは加わっていなかったが、新聞記者時代の後輩でノンフィクションを書いているH君のマージャンを観戦したときのことは忘れ難い。そのプロが上手の前の山に手をのばしてツモろうとしたときに、H君が手をのばして、プロの手を軽く叩いて小さな声で「失礼ですが」といった。プロの手からマージャンパイが落ちてきた。一枚ではなくて二枚だった。

 つまりプロがみなの目をかすめて二枚を同時にツモろうとしたのである。それをH君が看破したのだ。プロは平然として「あ、いかん、一枚がくっついていた」といった。故意にしたのではない、というわけである。するとH君は「あなたの手はねばねばしているみたいですね」といった。あとでH君に聞いたら、実は二回目のインチキだったという。最初のときは確信がもてなかったので見送ったが、しろうとさんには看破できないだろうと甘く見たのでしょう、といった。

 仲間同士のマージャンは長い間やってきたが、プロが入ったのは初めてだった。それにしてもよく看破できたね、というと、H君はにやりとして「サツ回りをしていたころに、ああいう連中とやっていたんですよ」

 サツ回りというのは、警察担当のことで、社会部記者の第一課程である。警視庁のほかに重要な所轄(例えば丸の内、池袋など)署にも記者クラブがあるのだ。わたしは彼にゴルフをすすめたことがあるが、彼は「おもしろいのはわかっているんですよ。でも、やめておきます」と手を振った。おもしろいのがわかっているのは本当なのか、ことわるための社交辞令ではないのか。すると彼は、ドライバーなんかはバカバカしいけれど、パットだけはTVを見ていても実におもしろい、奥が深いから自分のような凝り性はきっとはまってしまうから、やめておきます、というのである。

 その後、彼は糖尿病に悩み、ついには余病を併発して亡くなったが、もっと強くゴルフをすすめておけばよかったというのがわたしの悔いである。だが、現実はつねにきびしい。この表現にしても漢字を使うと「厳しい」か「酷しい」になり、どちらにしても、漢字には人情味がない。

 その意味でいうと、ゴルフでは、ドライバーショットには人間味がない。まっすぐに飛べばよし、というのは人間味に乏しい。それに比べて、パットは実に人情味が豊かである。わずか1メートルの距離であっても、ゴルファーは悩む。ストレートに強めに打てばいいのか、少し曲がるからカップの右の内がわか、いやいや、ワンカップはずすのがいいか。プロならば、入るか入らないかで人生が変ってくる。いや、それはアマでもあり得る。そして、そんなことで人間が悩むのは、いまいましいことにこの世でゴルフしかないのである。

三好 徹
1931年東京生まれ。読売新聞記者を経て作家に。直木賞、推理作家協会賞など受賞。社会派サスペンス、推理、歴史小説、ノンフィクション、評伝など、あらゆる分野で活躍。ゴルフ関連の翻訳本や著書も多い。日本の文壇でゴルフを最も長く愛し続けている作家。

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