スポーツというより、有閑階級の遊びだった日本のゴルフ。近衛文麿もゴルフ好きで、外国大使との密会の場所としても……
スポーツにはいろいろな種目があるが、例えば野球の場合、選手個人の能力を示すものは何だろうか。もっともわかりやすいのは、投手ならば何勝したか、であろう。プロ野球なら、以前は20勝がAクラス投手の証明だったが、最近は15勝で充分である。いうまでもなく1シーズンの記録であって、投手以外の選手は、チームの全試合に出るのが基本になるが、投手はそうはいかない。先発投手ならば五回を投げなければ、チームが勝っても勝利投手にはなれない。というより、四回二死まで投げて、その間に味方が大量点を取ってくれても、そこで降板してしまったら、勝利投手にはしてもらえないのだ。そういうことは規則で定めたわけだから、不合理じゃないか、といっても仕方がない。
ゴルフの場合は、野球と違って、選手についての評価は、試合に出ての勝ち負けそのものである。ドライバーによる第一打がつねに350ヤードでしかもフェアウェイに残る球を打つ人であっても、アイアンやパットが初心者同然で、バーディどころかパーもとれないというゴルフならば絶対にプロにはなれない。ゴルフは球の飛距離を争うゲームではないのだ。
ゴルフというスポーツのおもしろ味は、実はこの点にあるのではないか、とわたしは思っている。正直にいうが、わたしのゴルフは飛ばない人のゴルフである。今は年齢的にも飛ばないが、一九九一年にはじめてスコットランドのセントアンドリュース・オールドコースでプレイしたときは、98で回ることができた。外国でゴルフをするのは初めてではなかった。それより数年前にアメリカの西海岸の何コースかでプレイしていた。あるいは、ペンクラブの国際会議でシンガポールを訪れたときや仲間とハワイに行ったときも、あるいはブラジルを訪れたときも、機会さえあればゴルフをした。用具を日本から持って行ったこともあったし、現地で借りたこともある。
ゴルファーによっては、愛用の用具でなければゴルフをする気にならない、という人もいる。確かにレンタルクラブでは、ゴルフをする満足感は得られないかもしれない。だが、わたしはゴルフをすることに関して、必要以上の注文をつけることはしない主義である。旅先なのだ。グリーンにホールがあって、地元の人たちがそこをゴルフコースと呼んでいるなら、人さまの用具だろうと、いっこうに気にしない。
また、わたしだけの体験かもしれないが、オールドコースをプレイしたときには、そうか、ゴルフをするというのは、こういうことなのか、と感じながらプレイしたのを覚えている。オールドコースは、いわゆるパブリックだから、誰でもプレイできる。毎日、スタートわきの事務所で抽選があって、自分のハンデキャップの証明カードがあればいいのだ。といっても、外国人は、宿泊ホテルの証明を必要とする。何か事故が起きたとき、名前も国籍も不明では困るからだ。それにオールドコースでプレイしたいという人は世界じゅうからやってくる。ある意味でコースは観光資源でもあるのだ。
ヨーロッパの国は、どこでも観光資源を有している。あるいは、食事やワインなどもその地方独自のものがあって人びとを魅惑するが、英国にはそれが極めて少い。いや、ほとんどない、といってもよい。大英帝国が世界の七ツの海を支配したことの余録といってもよい。各国各地の物産が世界じゅうから届いたのだ。
ゴルフは英国が発祥の地だとされている。第一回の全英オープン・ゴルフ大会は西暦なら一八六〇年、日本では万延元年だった。何があったかというと、桜田門外の変といわれる事件が起きたのだ。歴史の講釈をする気はないが、日本にゴルフが到来したのは大正時代だったし、その国の代表的な試合は、俗にいうナショナル・トーナメントとされるから、米国ならUSオープン、英国なら全英オープン、日本なら日本オープンになり、ことしの10月に行われた大会が第80回だった。
本場であるイギリスはドイツとの戦争がはじまるとすぐにゴルフどころではなくなった。いま全英オープンの会場になるコースの一部に芝生の下にコンクリートの土台らしきものがあるコースは、かつてドイツ空軍の爆撃機を迎撃する戦闘機の発進基地だった。ドイツ空軍の戦闘機メッサーシュミットは、航続距離が短いためにロンドン上空まで飛んできて、英空軍のスピットファイアと空戦する余裕がなかった。爆撃機にも機銃が装備されているが、速力のある戦闘機相手では防ぎきれなかった。ドイツ空軍も諦めて空襲の代りにロケットを応用したV1号を開発し、さらにV2号で空襲を続けた。第二次世界大戦の戦史秘話であるが、そういう血なまぐさいエピソードが遠い昔のことになっただけでも、わたしたちは満足していいのかもしれない。
昔話になるが、日本のゴルフコースも、戦時中は野菜畑として転用されたこともあった。ゴルフは日本ではスポーツではなく、有閑階級の遊びの一つだった。首相だった近衛文麿公爵はゴルフ好きだった。外国の大使や公使とひそかに会う場所としてコースの付属建物が使用された。外交官ナンバーではなく普通のハイヤーが駐車してあれば、記者たちは不思議に思わなかったから、人目を避けるのに好都合だった。もともと当時の記者でゴルフをする人はほとんどいなかった。
それは戦争をはさんで戦後になっても、大差はなかった。日本で初めての世界的なゴルフ大会(一九五七年のカナダカップ)が開かれたときでも、ゴルフを知らない記者が記事を書いた。だから「関東プロに優勝したアマチュアの」という変な表現もあったくらいで、その点では現在のゴルフ記事は、世界の水準に達しているとわたしは思っている。
三好 徹
1931年東京生まれ。読売新聞記者を経て作家に。直木賞、推理作家協会賞など受賞。社会派サスペンス、推理、歴史小説、ノンフィクション、評伝など、あらゆる分野で活躍。ゴルフ関連の翻訳本や著書も多い。日本の文壇でゴルフを最も長く愛し続けている作家。
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