連載コラム

三好徹-ゴルフ互苦楽ノート

基本について考える

2016/2/1 21:00

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ゴルフのレッスンほど難しいものはない。それは教える方にも教えられる方にもあてはまる。
イラスト=松本孝志



 秋になると、外国人のプロが来日して、そのプレイをわたしたちに見せてくれる。昨秋(2015年)にはアメリカからバッバ・ワトソンがやってきた。以前は英国からもトップ級がやってきたし、スペインのバレステロスが来日したのも、彼が全英オープンやマスターズに勝ってトップ級になる前だった。

 彼が出る前は、スペインはゴルフの一流国ではなかった。弟分のホセ・M・オラサバルが出て一流国の仲間入りしたが、そのあとはひところの活気はない。やはり、ゴルフの伝統がないせいかもしれない。バレステロスが人びとに知られるようになったのは、全英オープンで2位になってからで、その前は誰も注目しない国だった。

 そのときの1位はジョニィ・ミラーであった。彼はその前にあった全米オープンでも63という新記録のスコアを出して勝った。近年にはコースを難しくする全米オープンで、そんなスコアを出したプロはいなかった。よく知られていたことだが、全米オープンは4日間72ホールでスコアがプラスマイナスゼロでラウンドすれば優勝、というセッティングをしてきた。だからたった一日であってもミラーが9アンダーを出したものだから、関係者もマスコミも一般のゴルフファンもびっくりした。

 全米オープンのスターは、四回勝ったベン・ホーガンであり、大衆の人気もあった。ただし、ホーガンは、どちらかといえば無愛想の人だ、と大衆には思われていた。プレイしていて良いショットを打っても、本人はにこりともしなかった。また、プレイしている間に同伴選手に口をきいたのは、グリーンに上って、どちらが先にパットするか、その件で、

「きみの方がカップまでの距離があるな」

 といっただけだったという"伝説"もある。

 この言い方も、わたしには、いかにもホーガンらしい、と思えるのである。ふつうは、どちらが先にパットするか、つまりカップまで距離の長い方がどちらかを決める前に、ピンをぬいて計測してみるか、あるいはもう一人のプレイヤーに、それを聞いてみるか、そういうやり方をするのが常識だろう。ゴルフ仲間や先輩後輩の集りであれば話は別であるが、わたしの場合は、1打を争う場面であってもこだわらない。

 別にカッコをつけているわけではない。ゴルフをはじめてからのわたしなりの悟りだが、『パットは入らないときは入らないし、入るときは入る』のである。わたしはゴルフをはじめて間もなく、あるスポーツ新聞の企画でアメリカのゴルフスクールに入った。といってもごく短期間のもので、そのスクールにある個室に6日間の宿泊をしただけだが、朝から夕方まで、いわゆるゴルフづけの生活をした。

 スクールには、ドライバーやアイアンのショットについてのレッスン担当コーチ、パットのコーチ、スコアメイクのコーチが三人いて生徒に基本を教え、さらに実技とともに綜合的なゴルフに対する心構えなどを教えた。その間に質問があれば、手を挙げて疑問を問いただした。

 日本のゴルフ教室には入った経験はないのだが、基本的には同じようなものだろう。難しくいえば、理論と実技の教習であるが、生徒の方に上達したいという気持がなければ、どういう教室に入ったところで効果はない。逆に、意欲があれば、ある程度までは独学でも上達できる。昔と違い、ゴルフ番組はTVでも見ることができるし、シーズンになれば実況中継がある。その放映のときにベテランのプロがいろいろとショットやパットの解説をしてくれる。

 わたしの経験でいうと、プロのトップ級の人でも、教えや解説の上手な人と、説明する言葉の足りない人とがいるのだ。ゴルフ用語は独特のものが多いが、それがわかっていないプロは、仲間同士の会話と同じように話す。それがアマチュアには、どうも理解しにくい場合もあるわけで、身ぶり手ぶりでクラブを握って見せ、

「ほらネ、こうやって打てば、ちゃんとフックしてグリーンに届くんだよ」

 といわれても、習う方としてはやはり理解しきれないことが多い。

 ゴルフのレッスンほど難しいものはない、とわたしは思っている。それは教える方にも教えられる方にもあてはまることなのだ。ゴルフの基本は「クラブをどう握るか」が第一義になるが、これだって、その人にぴったり適した握り方を教えるのは難しい。コーチが自分でグリップしてみせ、さらに生徒にグリップさせてから、例えば「もっと左手の親ゆびをリラックスさせて、小ゆびをしっかりさせて下さい」といったところで、コーチの指示の通りにできているかどうかは、コーチにも生徒にも本当のことはわからないのである。習字などは、教師が生徒の手に沿えて筆の運びを教え、運筆を実感させることができるが、ゴルフのクラブは習字の筆のようには扱えないのだ。それに、クラブを手にする人にはその人にぴったりの手袋があるはずで、それはプロには入手できても、ふつうのアマチュアには、運任せなのである。現実には、手袋に手を合わせるしかないのだが、手に合った手袋にめぐり会うことはめったにない。

 プロにしても、トップ級になるとメイカーが手に合わせて作ってくれるが、ふつうのプロは、手に合った品を見つけるまで、すでに完成している品をはめたりはずしたりするわけである。わたしたちは、店頭の手袋をはめたりはずしたりして、何とかゆるまない品を見つけるしかない。

 本当はパットについて考えていることを書くつもりだったのだが、パットに使われる手袋について書いているうちに枚数が尽きてしまった。まったくゴルフは何であれ語り出すと際限のないものだ、と改めて思う。

三好 徹
1931年東京生まれ。読売新聞記者を経て作家に。直木賞、推理作家協会賞など受賞。社会派サスペンス、推理、歴史小説、ノンフィクション、評伝など、あらゆる分野で活躍。ゴルフ関連の翻訳本や著書も多い。日本の文壇でゴルフを最も長く愛し続けている作家。

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