いまのようにゴルフがスポーツとして一般化する前、関東プロで優勝したアマチュアがいたらしく…
イラスト=松本孝志
スポーツにはいろいろな種目があるが、まず最初に団体で成績を競うか、個人で争うかの分類である。それ以前に性別もあるが、もともと、性別による分け方は、意味がなかったのだ。陸上にしろ水上にしろ、男子の方が速度も持久力も女子よりも体力がまさっているのは、人類においては当然だから、性別で成績を争うことは当り前なのである。また、近ごろは、年齢差を加味してシニアの競技もふえてきている。年をとってきたら、若い人に抗し得なくなるのも当然である。とはいえ、年をとって、若い者とほとんど互角に争える場合でも、シニアの種目を設けた種目もある。ゴルフはその典型といってもよい。
ただし、ゴルフのシニア競技が興行的な試合として成立するようになったのは、さほど遠い昔のことではない。体を鍛えた人の運動能力は、そう簡単には低下しないものなのだ。A・パーマー、J・ニクラス、G・プレイヤーらのいわゆるビッグ・スリーは、マスターズのお祝スターターとして初日の一番ティに立っていたが、パーマーは、そのティショットがフェアウェイ右側にあるバンカーを越えなくなったときに、スターターを辞退した。たしか1929年の生れだから、二十一世紀に入ったときには七十歳を超えていた。もちろん、同じくらいの年齢の人よりも飛距離は出たが、以前の自分の飛ばしぶりを想い起こすと、やはりウンザリしてくるのだろう。
もちろん、そういう年老いた感傷は、プロもアマも変りない。わたし自身、文壇コンペなどで若い作家と同じ組になると、一番ホールだけではなく、一日じゅう何となく冴えない気分になることもある。わたし自身は四十代の半ばからゴルフをはじめたのだから、さほど飛ばなくても気にならなかった。
作家になるといっても、現実にはある程度の年齢に達してから何とか家族を養えるようになるのが普通である。統計をとったことはないが、芥川賞、直木賞、江戸川乱歩賞の三賞が文壇へのパスポートのようにいわれているが、その平均年齢は、おそらく四十歳以上ではないだろうか。だから、文壇ゴルフに登場してきた作家で、朝のスタートで目の覚めるようなショットを打てる人は、作家になる前にゴルフをはじめたゴルフ歴の持ち主である。
戦前はともかく、1960年(昭和35年)以後の文壇ゴルフをリードしたのは丹羽文雄で、それ以前の1957年に日本でカナダ・カップ(第5回)が開かれたときに、何かコメントを出した作家はほとんどいなかった。例外的に永井竜男が、サム・スニードとジミー・デマレーのアメリカ組の優勝を予想するコメントをしているが、主催に加わった新聞社の紙面に出た記事の中に、試合をリードする予想を語るゴルフ通の人の紹介記事があり、
「アマは先ごろ関東プロで優勝した…」
と書いたあとにコメントする人の名を出している。
どうやら原稿を書いた記者もその上司のいわゆるデスクも、あるいは紙面全体を見る校閲係も、ゴルフのことをよく知らなかったから、このミスを見のがしているのだ。関東プロという試合は確かにあった。関西プロと並んで大きな試合だった。その試合にアマチュアが出るはずのないことに、どうしてどこかの部門で気がつかなかったのか。不思議であるが、それはゴルフがスポーツとして一般化していなかったことを証明していると思う。人気スポーツは野球であり、また古橋広之進が世界記録を連発した水泳だった。
当時ゴルフ場は百十六。年間利用者は約百八十万人だった。この大会の選手の出場枠は一国二名、この二名の四日間合計打数でチームの成績を決め、個人にも賞金が出る。チーム優勝賞金二千ドル、個人千ドル。為替は一ドル三百六十円。日本代表は中村寅吉(1915年生れ)と小野光一(1919年生れ)。
結果を書くと、日本チームは557打で優勝、中村は四日間274打で個人優勝も達成した。二位はアメリカで566打。個人でサム・スニードが281打の二位。もう一人の個人二位は同スコアのゲイリー・プレイヤー(南ア代表)である。プレイヤーがいかに選手寿命の長いゴルファーであるかは、これによっても明白だろう。
当時のわたしは、このカナダカップの主催に加わった新聞社の記者をしていたが、スポーツニュースを扱う部署ではなかったし、ゴルフに関心を持っていなかった。社内でゴルフをするものが何人いたかも不明だが、おそらく10人もいなかっただろう。何しろ自家用の自動車を持っていたのが何人になるか、それさえも不明であるが、運転を覚えようという気運が高まって社内運転同好会が生れたのは昭和40年代に入ってからだった。
今では編集記者の半数以上は運転免許を持っているようだし、休日には家族と伊豆、箱根へドライブ旅行するものも多いという。
では、ゴルフはどうか。
一般社会では社員のゴルフ熱はひところよりも落ちていると思うが、最大の理由は、ゴルフ場の会員になるためにはかなり高額の金を必要とするからだろう。それを必要としないパブリック・コースも以前よりは多くなっているが、プレイ料金はやはり安くないのである。首相や閣僚が財界人と親善コンペをしたという記事を目にすると、かれらは何もわかっていないな、と感ずるのだ。このカナダカップの数年後のことだが、首相になった人が、財界人との夜の会合を一切やめたと聞いて、その人物に対する評価をわたしは高くした。アメリカの大統領はアイゼンハワーもケネディもニクソンもゴルフ好きである。その後の大統領も民主、共和を問わずゴルフ好きが多い。それは、ゴルフに高い料金を必要としないのが一般的であり、オーガスタ・ナショナルのようなコースは特別なのだ。TVを見る限り、特権クラスのものであることをどうもアイマイにしている感じである。
三好 徹
1931年東京生まれ。読売新聞記者を経て作家に。直木賞、推理作家協会賞など受賞。社会派サスペンス、推理、歴史小説、ノンフィクション、評伝など、あらゆる分野で活躍。ゴルフ関連の翻訳本や著書も多い。日本の文壇でゴルフを最も長く愛し続けている作家。
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