日本で開かれたカナダカップで中村寅吉が勝てたのもそれ以前に世界のトップ選手と戦った経験があり……
イラスト=松本孝志
わたしがゴルフをはじめたころに、もっとも強かったプロゴルファーは村上隆だった。日本という名称のつく公式戦四試合を全て勝ったのだ。試合の順番は覚えていないが、日本オープン、日本プロ、日本プロマッチプレイ、日本シリーズを全て制覇したのである。ゴルフの月刊誌でわたしは対談する機会をあたえられたのだが、わたし自身のゴルフ歴が浅かったためにつっこんだ質問ができなかった。
一般論だが、つっこんだ質問をするためには、その分野の歴史とか活躍する人物の背景などを知っておく必要がある。そうでなければ、かりに相手の話に矛盾があっても、それを問いただすこともできないし、それに関連して、興味のある話題を引き出すことも難しい。つまりゴルフは特別な世界だからそれに関係する出来ごとも、一般社会の常識が通用しないことも少くない。
あえていうが、勝負の世界は、一般社会とは別である。サラリーマンの世界では、先輩後輩の序列がモノをいう場合が多い。いかに能力があったところで、先輩を軽視することは許されない。しかし、例えば力士の世界ならば、年が若くても横綱は平幕力士よりも上席に座れる。碁や将棋も、名人位にある人は、先輩よりも上席に座れるのだ。サラリーマンも、部長になれば、年上の先輩の部次長に命令を出すことになるが、そのときやはり礼をつくして頼む形をとるべきである。それをしない人は、生意気な若僧というレッテルを貼られて必ず失敗する。ピンチに立たされた場合にも助けてくれる人が出現してこない。俗に「勝てば官軍」というが、それは絶対的な真理ではない。「負けるが勝ち」という俗諺の方が正しい場合が多いのだ。
村上プロの話に戻るが、日本タイトルを全て取ったのだから横綱とか名人のような態度をとってもおかしくないのだが、それとなく見ている限り、村上プロの態度は全く変らなかった。どういう場所に出ても日本一をとったというおごった態度はなかった。プロの中には、勝つと態度のデカくなる人もいるが、彼は変らなかった。どこかのアマプロ戦で再会したときにそう感じさせられたのだ。同世代のプロの中には、とたんに態度がデカくなった人もいたのに、である。
実は、その点がわたしにはどうにも不可解なのだが、その後者の方(デカくなったプロ)は、そのあとも大きなタイトルをいくつか獲得したのに対して、村上プロは勝つことは勝っても、大きなタイトルは取れなかった。それもあと1打で同じスコアになってプレイオフに参加できるところだったのに、そうはならなかった。ゴルフは、2位も10位も大差はないが、1位と2位とは、天地の差がある。また、普通の試合の1勝と日本のつくタイトルの1勝とでは重みが違う。日本のつく試合は基本的に公式戦と呼ばれて、ふつうの試合よりは重みがある。
賞金の大小によって、その賞の重みをあらわすことはあるにしても、それは絶対的なものではない。ただし、タイトル名に「日本」がつくのは、公式戦に限定されているが、それが永久不変のものとはいえない。日本は筆者が生れたころは「大日本帝国」が正しい呼称だった。わが国が戦争に負けて米国に占領されたとき、米国の州の一つにしてもらった方がいい、という政治家もいた。
また、日本に駐留したのは米軍以外にイギリス、オーストラリアなどの軍隊もやってきたが、経費がかかるだけで無意味であることを知ると本国へ撤退した。朝鮮半島で戦争が起きたときも、国連の決議で「連合軍」が編成され、司令官には日本駐留のマッカーサーが任命されたが、出動したのはアメリカ軍が主力だった。
マッカーサーは大統領のトルーマンとは仲が悪かった。米軍の最高司令官は大統領なのだが、マッカーサーはミゾーリ出身の田舎政治家だったトルーマンを軽視していた。トルーマンが彼をワシントンに呼び寄せようとしたときに、朝鮮情勢の緊迫を理由にことわった。トルーマンはウェーキ島まで出張してきて会談した。間もなくマッカーサーは解任され、彼の部下だったリジュウェイ中将が後任になった。日本では絶対的な存在だったマッカーサーは、簡単にクビにされる一司令官にすぎなかったのだ。
マッカーサーもリジュウェイもゴルフをしなかったが、将官クラスの中にはゴルフ好きも多くいて、接収した日本のコースでゴルフをプレイした。日本のプロも中村寅吉らは相手をさせられた。プロたちは米軍専用の物品供給所でボールを買えることをよろこんだ。戦争前の日本製のボールとは違い、アメリカ製の新品は飛んで止まったのだ。
米軍の占領が終って、ゴルフの世界大会であるカナダカップに日本が出場できるようになったとき、中村らが好成績を挙げることができたのも、昭和三十二年に日本でカナダカップが開催されたときに中村が優勝できたのも、中村の能力だけではなかった。その前年にイギリスで開かれた大会に出て、ベン・ホーガンら当時のトップクラスと戦えた体験がモノをいったのである。
前にわたしはその大会のことを調べて作品にしているが、ゴルフが経験のスポーツであることを痛感し、それを作品の中で説いたことがある。また、マスターズ2勝をはじめ全英オープン5勝全米オープンに1勝しているトム・ワトソンと対談したとき多くのスポーツの中でゴルフほど経験がモノをいう種目はない、といったら、全くその通りだ、とワトソンは賛成した。そのときに強く感銘を受けたのは、アマであろうと、正しいことをいう相手に共感する素直さである。
こういう態度は、現実にはなかなか採れないものなのである。アマのくせに大きなことをいうなよ、という態度の人が多い(日本では)が、真理は誰が口にしようが、つねに真理なのではないだろうか。
三好 徹
1931年東京生まれ。読売新聞記者を経て作家に。直木賞、推理作家協会賞など受賞。社会派サスペンス、推理、歴史小説、ノンフィクション、評伝など、あらゆる分野で活躍。ゴルフ関連の翻訳本や著書も多い。日本の文壇でゴルフを最も長く愛し続けている作家。
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