連載コラム

三好徹-ゴルフ互苦楽ノート

不愛想なプロ

2016/5/1 22:00

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青木功が「世界の青木」になったきっかけは全米オープンでニクラスと好勝負したからで……
イラスト=松本孝志



 スポーツの中継放送で人気があるのは、おそらく野球と相撲だろう。これはテレビ以前のラジオの時代からこの二種目だった。筆者の少年時代でいうと、相撲の双葉山の人気が圧倒的だった。太平洋戦争のはじまる前、相撲は年に二場所で、両国の国技館での開催に限られていた。

 はじめは一場所十一日間だったが、双葉山が勝ちはじめると十三日開催となり、さらに十五日になった。双葉山は関脇のときに勝ちはじめて、大関も二場所を全勝で通過し横綱になった。先輩横綱には玉錦、男女川、武藏山がいたが、双葉山の快進撃を止めることはできなかった。そのころ一般家庭にはテレビはなかったから、電波による実況中継はラジオだった。わたしは小学生だったが、相撲の中継がはじまると、何も手がつかなかった。ラジオにかじりつく、といった感じで聞いた。

 スポーツはヒーローが出現すれば人気が出る。そのころも、野球は六大学戦が人気で、プロ野球の人気は、早慶戦などにはかなわなかった。また、相撲は双葉山の人気が一本かぶりで、弟弟子の羽黒山、名寄岩の活躍もあって、ライバルの出羽海部屋の力士たちの闘志をかき立てた。「打倒双葉」がかれらのスローガンであった。小学生たちは、むろん双葉山の応援団である。いつの時代でも、ヒーローは強くなければならない。

 あとでわかったことだが、双葉山は少年時代に片方の目を負傷して、視力をほとんど失っていた。また、対戦相手が先手をとるために制限時間一杯になる前につっかけてきても必ず受けて立った。文字通りの横綱相撲だった。来日したフランスの詩人ジャン・コクトーが観戦して、古代ギリシャの英雄になぞらえた感嘆の言葉を残した。むろん少年たちの圧倒的な人気力士だったが、七十連勝を前に前頭の安芸海に負けてしまった。それでもこの六十九連勝はいまもって破られていない大記録である。

 場所前の海外巡業で中国の満州へ行き、そこの食事で下痢になっていたのが原因だったが、そのあとも三敗した。本当は土俵に上れる体調ではなかったのだが、双葉山が休場した場合は、観客が激減するから、休みたくても休めなかったのだ。

 同じことはゴルフにもいえる。ゴルフの場合も、マスターズ、全米オープン、全英オープン、全米プロは、相撲の本場所に相当する試合である。この四試合で活躍すれば評価が高まる。青木功が日本を代表するゴルファーと認められたのは、全米オープンで横綱のニクラスと好勝負をくりひろげたからだった。日本でいくら勝ったところで、世界的に評価されることはない。双葉山当時の相撲は年に二回の東京での本場所しか評価の対象にならなかったのと同じである。

 日本の力士、いやプロゴルファーにとっては、四月のマスターズ・トーナメントが本場所だが、二月末の時点で出られることがはっきりしているのは、松山英樹だけである。招待試合であるが、世界ランクで五十位以内に入れば、直前であっても招待してくれる。以前は日本で賞金王になれば招待された。世界ランクのような基準のなかったころは、世界の片隅であっても、日本のゴルフの実力に敬意を表してくれたのである。しかし、本当に実力があったのは青木だけとわかると、日本国内で何十勝しても、相手にしてくれなくなった。露骨な言い方をすれば、やさしい日本のコースでいくら勝ったところで、世界的な評価の対象にされなかった。

 アメリカならオーガスタ、西海岸のペブルビーチ、イギリスならセントアンドリュースのオールドコースが世界の一流コースのいわば横綱といってもいいだろう。しかし、この三コースの中で、オーガスタはゴルフ大衆には開放されていない。わたしは二回プレイしたが、一回目は米国商務省の海外局長の紹介、二回目はマスターズ開催終了後の記者招待に加えてもらったのだ。一回目のときは、空港に迎えにきてくれた支配人が、自分が同伴プレイするはずだったが、急用で不可能になったので、コース所属のプロ(ジョニイ・ギンザムといった)といっしょに回ってもらう、といった。要するに、メンバー以外の人のプレイにはいろいろな条件があるのだ。

 日本のいわゆる名門コースも、似たような条件があって、誰もがプレイできるわけではない。しかし、オーガスタほどにうるさい条件が設けられてはいないようだ。ゴルフを楽しむ立場からいえば、そんなうるさいことをいうコースに行かなくたって構わない。ペブルビーチやオーガスタのような名コースでプレイできれば、日本の名コース(と称する)でのプレイはさしたることはない。つまり、別にびっくりするようなコースではない。あえていえば、いったい日本の名コースとは何なのだ? たんにもったいぶっているだけではないのか。世界的にみて評価されるコースの代表は、パブリックの川奈だけではないか。

 一九五七年に実質的には世界選手権であるカナダカップが日本で開かれると決したとき、はじめは川奈を舞台にするところだったが、バックアップする新聞社の社長が、コースのよしあしではない、川奈では観衆がやってこない、観衆の少い大会は成功しない、といって、会場を埼玉県のコースにした。その新聞の経営者だが、人を集める事業には天才的な感覚があって、プロ野球を発展させた功労者の一人でもあった。

 それは別として、日本のゴルフでは試合を見にくる人たちを興奮させるしかけが、全くセットされていないと思う。日本オープンその他TVで放映されれば、確かにゴルフファンは見るだろうが、テレビ画面に出てくる選手は大半が無愛想なのである。コースの現場でも観衆に対して、おそらく同じ態度だろう。以前のパーマーやニクラスたち、今のスピース、ワトソンたちはファンに対しては実に愛想よく接している。日本のプロもそれを見習ってもらいたいと思う。

三好 徹
1931年東京生まれ。読売新聞記者を経て作家に。直木賞、推理作家協会賞など受賞。社会派サスペンス、推理、歴史小説、ノンフィクション、評伝など、あらゆる分野で活躍。ゴルフ関連の翻訳本や著書も多い。日本の文壇でゴルフを最も長く愛し続けている作家。

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