アイゼンハワーはゴルフ好きの将軍だったが、日本ではゴルフ好きで有名な軍人といえば……
イラスト=松本孝志
ゴルフで「グランドスラム」というのは、マスターズ、全米オープン、全英オープン、全米プロの四試合に勝つことで、ゴルファーにとっては、それを達成するのが夢だ、という人が多い。それをグランドスラムというのだが、もともとはテニス界の言葉だった。テニスでは、全米、全英、全仏、全豪の各国オープンに勝つことがグランドスラム達成になるそうだが、マスターズという試合は、アメリカのボビイ・ジョーンズのはじめた招待試合が国際的に認知されたものだから、その歴史はそんなに古くはない。それなのに、グランドスラムという言葉の響きが途方もなく重いのは、ボビイ・ジョーンズという人物の存在感とオーガスタ・ナショナルというゴルフコースの魅力のせいだろう。
その上にあえていうなら、ゴルフの、テニスでは絶対に味わうことのできない満足感は、自然との戦いを感覚できる点である。テニスコートは屋内であれば、雨が降っても球を打ち合える。あるいは雪であっても屋内コートならば天気は無関係である。ゴルフはふつうの雨ならば試合を中止することはないが、かりに雷が鳴れば即座に中止される。また、風が強く吹く状況になれば自然の威力をじかに感じとれる。要するに、テニスコートという、もっとも人工的な舞台を作った上でのスポーツとの決定的な違いがある。
ゴルフでも、舞台装置には人工的な仕掛けを加えることができる。というよりも、その仕掛けの上手下手によってゴルフ場の評価が決められることもある、といってもいい。オーガスタを作ったボビイ・ジョーンズが、その地形を見て、ここほどゴルフ場にふさわしい地形はない、といって喜んだというが、テニスコートの場合は、地形はさして評価のポイントにはならない。地形にはデコボコがあっても全くかまわない。むしろ、ボールの落ちた地点の地形によって結果も変ってくる点にゴルフのおもしろさが加味されるだろう。
私は、ゴルフをはじめたあとも作品の取材で各国を旅してきた。今夏のオリンピックのあるブラジルにも行ったことがある。在留邦人の招きでリオの近郊のコースでゴルフをしたさい、第二次大戦のときに、ブラジルはアメリカに協力を求められて日本に宣戦布告をしたことで生じたエピソードを聞いた。要するに、敵の国の人たちをコースに入会させないというコースの当時の決定が、戦争が終っても残り続けたというのである。
ブラジル社会で日本人の影響力は決して小さくないのに、この決定が今もって履行されている。それを何とかしたいのであればコースの会員を通じて理事会に働きかければいい。現にドイツ系の人たちは名門コースに入会しているのだ。しかし、日本人会のそういう希望を受け入れて働きかける会員がいない。
日本国が宣戦布告をして戦争に入った相手は、アメリカ、イギリス、オランダでそれに中国の蒋介石政権を加えたが、オーストラリアやカナダには、布告しなかった。ただし、両国ともイギリス連邦の一国であり、現実に日本軍が南方作戦に入ったとき、豪州の北部には海軍が機動部隊を送った。もっとも激烈な戦闘をしたガダルカナル島は豪州大陸のすぐ北東にある島だった。フィリピンで日本軍に敗れたマッカーサーは、豪州で米軍を立て直した。アメリカ本国に帰れば司令官を解任されることは目に見えていたから、オーストラリアで頑張ったのだ。
マッカーサーはアメリカの陸軍士官学校を最優等の成績で卒業し、三十三歳の若さで参謀総長に任命された。そういう人物にとっては、負けて本国に帰ることはプライドからもできなかった。こういう事実はゴルフとは無関係だが、戦争に勝って日本に乗りこんできた部下の将軍たち、つまり少将以上の位にある人たちの中に、ゴルフ好きの将軍はいなかった。軍務の余暇にゴルフをするような士官は、軟弱な軍人とみなして部下にしなかった。
アメリカ陸軍のもう一人の英雄ドワイト・アイゼンハワーはゴルフ好きの将軍として知られている。彼は民主党のトルーマンのあと共和党に推されて大統領になった。そしてオーガスタ・ナショナルのメンバーに迎えられ、コースの中にキャビンを作ることを認められた。やはり大統領というのは唯一無二の最高の職なのである。
彼は大統領を二期つとめたが、次の大統領のジョン・F・ケネディは、ハーバード大学卒業の名門の息子かつ財産家の息子でもあり、ゴルフは若いころから上手だった。オーガスタのような地方のコースではなく、東部の名門コースに入っていたから、ゴルフを楽しむ場所は至るところにあった。
その点は日本も似たようなもので、戦前からの名門コースというのは、会員になるのは簡単ではなかった。太平洋戦争のはじまる前に首相だった近衛文麿はゴルフ好きで、外国の大使などとひそかに会談するときはゴルフ場を使った。大使が先に車で来場し、あとから首相が到着しても記者たちにはわからずにすんだ。グルー(近衛時代の米国大使)の回想録にはそのことが記述されている。
今ではゴルフをする記者は珍しくないが、そのころにはゴルフ好きの記者などはいなかった。というよりは、ゴルフをするような家庭の息子が記者になることはなかった。かりにゴルフをしたいといっても父親が認めなかっただろう。あるいは、軍人でゴルフをする人などは百人に一人もいなかったのだ。
日本の軍隊は、陸軍も海軍もゴルフをするような軍人を出世させることはしなかった。ああいう球ころがしの遊びは軍人にふさわしくない、と決めつけていた。
いや、ここまで書いて思い出したことがある。その例外は次回にゆずろう。
三好 徹
1931年東京生まれ。読売新聞記者を経て作家に。直木賞、推理作家協会賞など受賞。社会派サスペンス、推理、歴史小説、ノンフィクション、評伝など、あらゆる分野で活躍。ゴルフ関連の翻訳本や著書も多い。日本の文壇でゴルフを最も長く愛し続けている作家。
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