日本アマで6回優勝した中部銀次郎氏にプロになる気はないのか、と聞いてみると…
イラスト=松本孝志
ゴルフ好きにとっては、夏の盛りは、正直な気持ちをいえば困った季節なのである。くどくど説明するまでもなく、第一にプレイそのものが難行苦行になるからである。そんなことはない、涼しい高原や軽井沢のような土地のコースでのプレイは快適だよ、といわれるかもしれない。アメリカ映画にあったが、避暑地のゴルフで若い男女の間に愛が生れて…というストーリーは、ある意味では平々凡々である。別に避暑地ではなくても、冬のスキーコースでも同じことである。
男女間の結びつきは、ゴルフやスキーに限ったものではない。今ではひところの勢いはなくなっているが、ボーリング場だって、男と女の出会いには適当だった。手とり足とりして上手なものが初心者に教えるのはごく自然であり、男女の結びつきの場として納得できるのだ。わたし自身の仕事つまり小説を書く上で、そういう設定を利用したことはほとんどないが、その主たる理由は若いころに、ゴルフもスキーもボーリングも全くプレイしなかったからなのだ。
職業というのは、いわゆる余暇の使い方に決定的な影響がある。わたしには二歳下の弟がいたが、わたしは新聞記者で弟は公務員だったから、週末に使える時間が同一ではなかったのだ。新聞社も基本的には土曜日午後と日曜日は全休だった。のちに土曜日も休みとなったが、週休二日になったのは、かなり後になってからだった。それ以前は、記者には土曜日の半休はなきにひとしかった。新聞社の工場関係は半休だったかもしれないが、取材の現場では、土曜日の午後も平日も同じだった。正確にいうと、完全に同じではなく、同じようなものだった。
具体的にいうと、例えば警察を担当する場合、正午まで何も事件がなかったからといって、帰宅するわけにはいかないのである。事件というのは時を選ばない。交通事故が起きたときに帰宅していたら、仕事にならない。それに備えて、大きな役所には置かれている記者クラブでは居残っているのだ。といって、何もせずに事件が起こるのを待つ、というわけではない。記者クラブには、どこでも碁や将棋の用具が置いてある。今はどうか知らないが、わたしの若いころには、トランプや花札、マージャンのあるクラブが多かった。
のちに政界に移って、大臣になった人や衆院議長をつとめた人もいるが、昼すぎにクラブに出てくると、碁盤の前に座り、広報課の碁の上手な役人に対局の相手をさせた記者もあった。今ではライバル社とのスクープ合戦をくりひろげることも、まア皆無といっていいと思うが、わたしの若いころには、激烈な取材競争もあったのだ。
同じ分野での競争という点では、ゴルフの世界は前よりも激しくなっているかもしれない。理由は明白である。以前は日本国内で勝っていればよかったのだ。一九五七年だったか、中村寅吉プロは霞ヶ関カンツリーで開かれた第五回カナダカップで個人団体ともに勝った。
カナダカップという名称は、創始者はアメリカ人であるが、自分が会長をつとめているカナダの企業を世界的なものにしたいという気持もあったからなのだ。第一回の参加国は五だったが、日本は二回目から参加し、このころには参加二十五国になっていた。アメリカは、当時大統領だったアイゼンハワーがUSGAに、強い選手を出すようにといい、ベン・ホーガンが第四回にサム・スニードと共に出場して個人団体ともに勝った。
ゴルフは、もともと個人競技である。だから団体のスコアの上下を争うのは本質に反するのだが、アメリカが勝てないのはおかしいではないか、といわれ、それがホーガンの耳に入り、外国嫌いの彼を動かしたのだった。
夏のブラジルのオリンピックではどういうことになるか、個人的にはわたしは興味を持っている。オリンピックだから本来は栄誉はメダルだけのはずだが、アメリカあたりは賞金を出すのではないか、といわれている。
オリンピックは本質的にはアマチュアの試合なのだ。ボクシングのカシアス・クレイは金メダルを取ってからプロ入りした。その方が高い契約金を手にできる。ほとんどのスポーツが金になる時代なのだからこうなるのも当然だろう。
で、ゴルフも同じか、というと、決して同じではないと思う。本場の英国、というよりスコットランド地方では、ゴルフは上流階級用の遊びではなかったが、逆に日本では、庶民のものではなかった。何といっても、広大なゴルフコースや各ホールの設営など高額の費用を必要とする。それは日英とも同じことで、コースの維持だけではなく、キャディやレッスンプロの生活も保証してやる必要がある。維持費のほかに何か金のかかる状況が生じたときに、その費用を分担してくれるメンバーがいてくれなければ、ゴルフ場は成り立たない。日本でもゴルフを楽しんだのは、公爵近衛文麿たちの上流階級が多かった。アマの名手が日本オープンに勝ったのは第一回だけだった。中部銀次郎はアマの大会では六度の優勝を達成したが、日本オープンには勝てなかった。対談したのがきっかけで彼とは何回かプレイしてそのあとに酒食を共にしたが、プロになる気はないか、と聞いたとき、なる気はない、プロになって日本オープンに勝とうとすれば寝食を忘れて練習しなければならない、自分にはそうする気持ちも体力もない、という答えだった。要するに、楽しいゴルフができないということなのだ。
野球もテニスも遊びは楽しいが、仕事や職務では楽しくない。プレイをゲームとして楽しめるのはやはりアマの特権なのである。
三好 徹
1931年東京生まれ。読売新聞記者を経て作家に。直木賞、推理作家協会賞など受賞。社会派サスペンス、推理、歴史小説、ノンフィクション、評伝など、あらゆる分野で活躍。ゴルフ関連の翻訳本や著書も多い。日本の文壇でゴルフを最も長く愛し続けている作家。
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