連載コラム

三好徹-ゴルフ互苦楽ノート

ゴルフに大切なもの

2016/12/1 21:00

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むかしはラージボールとスモールボールがあって日本やイギリスはスモールを使っていたのだが…
イラスト=松本孝志



 ゴルフ愛好家にもさまざまなタイプがあって、大別すると二種類になるのではあるまいか。第一は、このゲームを楽しむことが大切であって、スコアの上下によって勝った負けたと喜んだり怒ったりするのは正道ではない、と考える人である。第二は、広い野原を歩いて球を打ち、ホールに入れるまでの打数を争うことによって勝敗を決めるのであれば、その結果について昼めし代金程度の金を賭けるのもおもしろいではないか、ゴルフは人生に似ている、というよりは人生行路の浮き沈みに通じている、と思うタイプの人たちである。

 どちらがよいのか悪いのか、わたしは、誰にも決められない、と思う。現実にコースに出て18ホールを回っている間に、勝つか負けるかを気にするようなプレイをしたことはない。ゴルフをいっしょにはじめた同世代の作家何人かとプレイすることは多かったし、ある程度のチョコを賭けたことが多かった。作家の生活は、ある意味ではサラリーマンの日常と似ている。どういう企業で働くにしても、朝起きて出勤し、夕方まで仕事をしてそのあとに仲間と飲んだりマージャンをしたり、結婚してからはそういう遊びの時間は減らすにしても、基本的には給料をもらってそれを家族との生活に充当する、それが基本であって、上役や同僚との人間関係によって楽しかったり苦しかったりになってくる。

 サラリーマンではなくて、自家営業の家に生れた場合は、そういう日常的な一日ではないだろう。出勤時間を気にする必要はないだろうし、上役はいない。業界の集りに出るのに少し間に合わなかったとしても、頭を下げるだけですむだろう。サラリーマンの出社におくれるミスとは別である。

 では、作家の日常にはサラリーマン的な制約は全くないだろうか。

 この問いにどう答えるかは、千差万別である。個人的なことをいうと、わたしの周囲にいる文筆家の大半は、作家生活に入る前にサラリーマン生活を経験した人ばかりである。わたしと同じ新聞社に勤めた人の中から芥川賞三名直木賞(わたしを含めて)二名、その他の文学賞一名の作家が出ている。新聞記者は書くのが仕事であるが、新聞記事と小説とは全く別である。また、いわゆる三大紙以外の新聞社通信社からも多くの作家が出ている。ところが、ここ10年間くらいは文学賞を受けて作家活動に入った人は極めて少い。

 文章は誰にでも書ける。中学生は無理であっても、高校生ならば、おとなの心をつかむ文を書くのは不可能ではない。

 年齢に制限はなく、定められたルールの中でよいスコアを出せるなら、その人は業界で活躍できる点で、文壇はゴルフの世界と似ているかもしれない。見方によって文壇よりもゴルフの分野の方が楽かもしれない。詩文の世界では、言葉の壁がある。日本語は中国語の影響を大きく受けているから詩の世界では日本人は中国の詩文を理解できる。しかし、横文字は全く別である。

 英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語などはアルファベットが基本だから似ている単語は多い。しかし、アラブ語は全く別である。相互理解というのは、現実には簡単ではないのだ。

 その点、スポーツには、言語の壁はない。陸上競技でマラソンも百メートルも走ってみれば判定できる。くどくど説明したり解説したりしなくたって見ていればわかる。百メートルのように写真判定しても判定の難しい場合もあるが、それは例外である。

 スポーツには多くの種目がある。ゴルフの場合は、用具を用いる関係で、それなりの制約がある。例えば、ボールでは、スモールサイズとラージサイズがあった。わたしがゴルフをはじめた40年前は、日本はスモールボールだったが、米国はラージボールだった。距離についてはスモールが有利だった。つまり飛んだのである。

 日本はイギリスの系列に入っていた。アメリカはラージボールの世界で、スモールでの成績は公認されなかった。だから全英オープンは、最初スモールだった。アメリカに同調してからは公式戦はラージだけになった。そのへんのいきさつはよくわからないが、ニクラスの文章の中に、スモール球は飛ぶので楽しくなる、というくだりがある。日本は、公式戦はラージボールのみとなるまでは、スモール使用のプロも多かった。

 古いことわざに「大は小を兼ねる」というものがある。例えば、着物は寸法の大きいものでも帯や紐を用いて小さい人もうまく着用できるが、小さいものは着用がむずかしい。日常生活では、小さい寸法のものは使えない実例も多い。わたしがゴルフをはじめたときはスモールのみだったが、翌年にアメリカに行ったとき、ラージを使ってみた。というより売店にスモールはなかった。ラージはスライスが大きかった。高く上がったが、飛ばなかった。もともと飛ぶタイプではなかった。いっしょにはじめた仲間に20ヤードは劣っていた。

 わたしは彼に負けないために、パットとアプローチに力を入れた。彼より先にスコアで100を切った。ある出版社主催のゴルフ大会で96(ハンデ25)で優勝した。初めてゴルフをプレイしてから1年と15日だった。ハーフで50を切っても残りのハーフで乱れて、なかなか100を切れなかったのだ。

 そんなことを考えると、ゴルフはスポーツではあっても、スポーツ神経よりも大切なものがある、いやその大切なものによってスコアが左右されるのではないか、と思っている。で、その大切なものとは何か、は次回で……。

三好 徹
1931年東京生まれ。読売新聞記者を経て作家に。直木賞、推理作家協会賞など受賞。社会派サスペンス、推理、歴史小説、ノンフィクション、評伝など、あらゆる分野で活躍。ゴルフ関連の翻訳本や著書も多い。日本の文壇でゴルフを最も長く愛し続けている作家。

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