連載コラム

三好徹-ゴルフ互苦楽ノート

可能性の問題

2017/1/1 21:00

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ベン・ホーガンは全英オープンひと月前に渡英し、ベテランキャディを伴って毎日ラウンドしたというが…
イラスト=松本孝志



 カレンダーでは、まだ十一月だが、気分としては「まだ」ではなくて「もう」十一月である。年内の残りは十二月だけで、仕事だけではなく何かにつけてやり残したことは山ほどある。「人生五十年」という言葉は古くからあって、わたし自身小学生のころに耳にした覚えがあるが、その本当の意味はわかっていなかったと思う。いわゆる人間の平均寿命が五十年ということだろうが、もしそうなら決して長くはないな、と感じたものである。わたしや二歳下の弟も、母親が五十歳を迎えたときには、中学生だった。

 といっても、学制の改変があって、わたしの場合は中学は五年制、弟は三年制になっていた。満年齢でいうと、わたしは十七歳、弟は十五歳で、中学生は終るのだ。その上の高校は、わたしは三年、弟も三年だが、最上の大学は、わたしは三年、弟は現行の四年である。小学校は同じ六年だから通算すると、わたしは六五三三、弟は六三三四になる。弟の世代は一年短くて大学を卒業したのだ。もちろん落第や留年のないことが条件になるが、いわゆる義務教育は、わたしたちは六年、弟たちは九年である。

 世界的に見て、義務教育の九年は長い方である。現行の日本のシステムは、敗戦後に米軍の占領下にあったころに実行されたものだった。総司令官のダグラス・マッカーサーが日本政府に命令したもので、政府の中には、九年は長すぎるし、義務教育というからには、そのぶん政府の負担が大きくなる、といって反対する大臣もいたが、占領軍の命令は“絶対”だった。

 アメリカ流のデモクラシーは、多くの日本人にはなじめないものだった。マッカーサー本人は、陸軍中将の息子で、十四歳から陸軍の学校に入り、自分も米軍の歴史では最年少の三十二歳で、中将になり参謀総長に任命された。このポストは、いわゆる戦略を考える任務と思われがちだが、当時の米軍では実戦部隊のトップだった。これに対して日本の陸軍の参謀総長は、実戦の総指揮官ではなかった。もう一人の幹部である陸軍大臣にも強い権限が与えられていた。大臣は部隊を編成し、どの方面に何名を出動させるかなどを決める。最前線に立って兵士と共に戦う指揮官は、司令官の命令で動くのであって、参謀には命令権はなかった。

 どちらがいいか、それはわからない。太平洋戦争で、日本軍は初めは米軍を圧倒したけれど、後半は逆だった。マッカーサーは、最初は日本軍に負けたが、オーストラリアに退いてから米軍を立て直し、後半戦では日本軍に圧勝した。

 そういう戦史の“研究”は別として、現実に役立つのは経験である。ゴルフも例外ではない、とわたしは思っている。いくらゴルフのレッスン本を読んだところで、あるいは上級者(プロも含めて)からすばらしいスイングを見せてもらい、手とり足とり教えてもらってもゴルフが上達するわけではない。それは碁や将棋も同じである。

 このふたつの競技には長い歴史があって、江戸時代の名人たちがどういう手を使ったのか、その手の背後にどういう思考があったのか、それは今のプロ棋士たちにもわかっている。むろんアマチュアのわたしたちだって、盤上に再現して、その手の背後にある名人の思考を汲みとることが可能である。

 ゴルフも似たようなものだが、実は似ているだけであって、決して同じではない。将棋でいうと、最初の一手は、飛車先の歩をつくか角行の右上の歩をつくかである。昭和十二年ごろの話だが、関西名人を称していた坂田三吉はいきなり端しの歩をついた。関東の第一人者木村義雄が相手になっている対局では、考えられない一手だった。相手を怒らせるためだったろうとか、第一手はどこであろうと、大差はないという考えを実現したのだとかいろいろ説はある。わたしの考えでは、関東を代表する相手に、常識外の手を実行したのは、いずれは差す手を早々と実行したまでのことで別に損をするわけではない、というのが坂田の考えだったのではないか。

 碁でも中国出身の呉清源は15歳で来日し、名人本因坊を相手に、開始早々にそれまでの常識にない手を打った。日本側では、名人を相手に非礼であるという人もいたが、この対局で中国の天才呉清源の名は日本の囲碁ファンに知られた。囲碁ファンの数がいっきょに倍増した、ともいわれている。

 ゴルフでも同じようなことがある。日本はゴルフでは後進国だったが、一九五七年にアメリカのサム・スニードらが来日して世界選手権といってよいカナダ杯を中村寅吉らと争った。ベン・ホーガンは、長い航海もハワイ経由の空の便も困るといって出場しなかった。思うに、ホーガンはゴルフの“哲学者”であって、遠い極東の国へ行ってゴルフを広める必要を認めなかったのだ。彼の外遊は全英オープンに勝つためにイギリスに出かけた一回だけだった。一ヵ月前に到着し、ベテランのキャディを紹介してもらい、一日も休まずにラウンドして、コースを知りつくした。全英オープン、全米オープン、全米プロ、マスターズがゴルフの四冠だったが、ベン・ホーガンが第一号で、スニードは全米プロだけ勝てなかった。これはトム・ワトソンも同じである。ホーガン以外はニクラス、南アのゲイリー・プレイヤー、タイガー・ウッズが四冠達成者である。

 日本人では、青木功の全米オープン2位、中島常幸の全米プロ3位が最高である。

 松山英樹がこの前上海の国際試合で勝ったが、彼以外に四冠に届きそうな人は今はいない。といって、松山には才能はあっても、日本を生活の本拠にしている限り可能性はない、とわたしは思っているのだが…。

三好 徹
1931年東京生まれ。読売新聞記者を経て作家に。直木賞、推理作家協会賞など受賞。社会派サスペンス、推理、歴史小説、ノンフィクション、評伝など、あらゆる分野で活躍。ゴルフ関連の翻訳本や著書も多い。日本の文壇でゴルフを最も長く愛し続けている作家。

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