連載コラム

船越園子 サムライたちの記憶

青木功

2015/8/12 22:00

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日本のアーノルド・パーマーに贈る



 このコーナー、「舩越だけが知っている日本人選手の真の姿」ということになっているのだが、当然ながら、その人数には限りがある。ということで、名残り惜しいけれど、今月が最終回。しかし、このお方を書かずして、このコーナーを終わりにするわけにはいかない。

 青木功と初めて言葉を交わしたのは、90年代半ばごろの米シニアツアー(現チャンピオンズツアー)の会場だった。それより以前に日本ツアーの試合会場で見かけたことはもちろんあった。が、その頃の私はあまりにも駆け出しのゴルフライターでビッグネームに声をかけることなど恐れ多くてできず、いつも遠くから彼を眺めているだけだった。

 だが、アメリカという国、米ツアーという場の空気は、どうしてだか、そういう隔たりを縮めてくれる気がするものだ。私は練習中の青木に近づいていった。とはいえ、いきなり声をかけるのはやはりはばかられ、近くに立って練習を見ていた。私に気づいた青木はにっこり笑いながら、独り言のように呟いた。

「球が暴れてるよな」

 私には返答の仕方がよくわからなかった。手にしていたフェアウェイウッドで遠くのフラッグをめがけ、いろいろな弾道を試していた青木。その球がフラッグ近辺にうまく集まらず、とっ散らかることを「暴れている」といったのか。それとも思うような弾道にならないことがイマイチだと感じているのか。"青木話法"は"青木初心者"の私には、ちょっぴり難解だった。が、あの青木から話しかけてもらっているというドキドキ感から、私は言葉の意味もわからぬまま、思わず笑顔で「うふふ」と答えた。

「おい、こら、『うふふ』じゃねえだろ!球が暴れてるのに『うふふ』はねえだろが!」

 青木はそういって笑いながら肩を組んできた。私の心臓はバクバク高鳴り、止まりそうになった。


親しくなることと距離感を保つこと

 いつも気さくに声をかけてくれる。そんな青木とすっかり仲よくなったつもりになっていたある日、ガツンと叱られてしまった。あのころはミッシェル・ウィーが男子の試合に挑み始め、アニカ・ソレンスタムが米ツアーの大会に推薦出場することが決まった矢先で、女子が男子の試合に挑む是非がゴルフ界で議論されている真っ只中だった。

「青木さん!女子が男子の試合に出ることを青木さんはどう思いますか?」

 きっと饒舌に語ってくれる。そう期待していたのだが、青木はいきなり表情を硬くした。

「どう思いますかって、簡単に聞くんじゃないよ。オレがオマエさんに答えたことは、青木功の発言として日本のゴルフ界ではそれなりに影響力も出てしまうんだ。ちょっとした一言が大問題になることもある。もっと時間をかけて慎重に話をするべき内容だろ?」

 そんな青木の言葉にハッとさせられた。選手と親しくなることと、調子に乗って何でも聞いてしまうことは、まったく別もの。メディアにとって選手との距離感の取り方がいかに大切であるかを、私はこのとき青木から教わった。


「この青木功は変わんねえよ」

 あれは2004年の秋。世界ゴルフ殿堂入りが決まった青木が、その式典を迎えたときだった。

「うれしいけど、不安だよ…」

 数時間後に壇上で披露する英語のスピーチが不安でたまらない様子だった青木。珍しく頬をこわばらせ、何度も台本を眺めては練習していた。

 夜空の下の野外ステージ。颯爽と登場した青木だが、マイクを通して聞こえてきた声は緊張のせいで硬かった。

「ジス・イズ・ア・グレート・オナー…(このうえない栄誉を授かり…)」

 あとで聞いた話だが、このときの英語のスピーチの台本はすべてカタカナで書かれていたそうだ。日頃からブロークンな英語で欧米選手たちとジャレ合っていた青木だが、こんなふうに形式ばった青木の英語を耳にするのは、誰にとってもおそらく初めてのことだったろう。彼のイングリッシュスピーチはお世辞にも流暢ではなかったけれど、不思議なほど魅力的で、聴衆は身を乗り出して耳を澄ました。

 だが、さすがに無理は続かないということで、スピーチは途中から日本語に変わった(もちろん、あとは通訳が英語に訳した)。
「15歳からアルバイトでキャディをやってゴルフを知った。プロになって優勝したら賞金がもらえる。ワールドカップに選ばれれば外国へ行ける。貧しい農家に生まれた私は、大きな世界を見たいと思った」

 聞いていて鳥肌が立つほど素敵なスピーチだった。いや、スピーチが素敵というより、青木功が素敵だった。

 一世一代の大役を終えた青木は式典後のパーティーでは、幸福感と達成感に酔いしれていた。「スピーチの練習しすぎてやせちゃったよ。不安だったけど、開き直ったら何とかなった」。そういって笑う青木は本当にうれしそうだった。

 スピーチの中で青木はチエ(宏子)夫人のことを、こういった。

「最大の理解者はワイフのチエ。今でも勝てないのはジャック・ニクラスとチエ」

 そのチエ夫人と駐車場まで歩きながら話をした。この日の青木は「一番うれしい」といっていたが、チエ夫人はこういった。

「一番うれしいのは家族3人が幸せでいられること。殿堂入りは一生懸命やってきたことの結果。そう、付録みたいなものです」

 そんな夫人の言葉を聞きながら、チエさんあっての青木さんなのだろうなあと、勝手ながら想像を巡らせた。

 車が来ると、青木はグラスを手にしたまま後部座席に乗り込み、それでもまだしゃべり足りないとばかりに言葉を続けた。

「オレは今、かなり酔ってるけどな。いってることははっきりわかってる。殿堂入りしても、この青木功は変わんねえよ」

 そんな青木は可愛らしかった。

 近年、青木に会う機会はテレビ解説者として全米オープンや全英オープンにやってきたときぐらいしかない。だが2011年は全英オープンで解説を務めた翌週に全英シニアオープンに出場した青木の取材に赴いた。

 開幕前。クラブハウスの中で欧州の黒人選手が持っていたサンドイッチを見た青木。「それ、どこで買ったんだ?うまそうだな」とブロークン英語で話しかけ、大はしゃぎしていた。「今の選手誰ですか?」とたずねると、「オレも知らねえんだけど、このコミュニケーションが最高なんだよ。名前知らなくたって『おうっ!』といえば『おうっ!』と答える。それで会話があればいいんだよ」

 米ツアーでかつてともに戦ったラス・コクランと出くわしたときも青木は「おうっ!レフティ・チャンピオン!」と派手なジェスチャーで話しかけ、コクランは照れ笑い。そして、コクランが去ったあと「アイツ、名前何だっけ?コチなんとか、いうんだよな」

 なるほど。本当に「おうっ!」といえば「おうっ!」と答えるものだなあ。青木話法はいまなお健在とわかって、うれしくなった。


謙虚な達人のお礼の言葉

 その夜。ディナーのお誘いを受け、街の中のイタリアンレストランへ行った。

「こうやって、どうでもいい話をあれこれしながらみんなで食べるのがおいしいし、楽しいよな」

 舌鼓を打ちながら静かに笑う青木はあの殿堂式典の夜、「このオレは変わんねえよ」と酔っぱらっていったあのときと同じ、素朴で可愛らしい青木だった。

 前週に体調を崩した青木は練習ラウンド抜きのぶっつけ本番で全英シニアに挑んだ。

「オレのプレーを見たくてチケットを買ってくれた人が一人でもいたら申し訳ない」

 必死の体当たりで初日に挑んだが、思うようなプレーはできず、オーバー数ばかりが重なっていった。くやしそうな表情を見せた青木だがホールアウトすると、静かな笑顔を浮かべ、こういった。

「18ホール見てくれて、ありがとうな」

 謙虚な達人の言葉が心に響いた。

 地元の子供たちがどんどん近寄ってきて、青木にサインを求めた。一つ一つていねいにボールにサインをしながら一人一人に声をかけ、ボールを渡す青木。受け取った英国の子供たちは、青木の黄金時代もプレーぶりも知っているはずはない。だが、この東洋のプロゴルファーからあふれ出る不思議なオーラに引きつけられ、青木の周囲にいつまでも群がっていた。サインを見て目を丸くする子。言葉をかけられ笑顔になる子。みなうれしそうだった。

 そんな光景の中心に立っていた青木の姿は、何よりもファンを大切にするアーノルド・パーマーと重なって見えた。

 青木功は日本のアーノルド・パーマー――そういったら、青木はきっと「バカ野郎。オレのほうがカッコいいに決まってるだろ?」なんて、冗談混じりに笑うだろう。けれど私は「これ以上のプロゴルファーは存在しない」という意味を込めた最上級の賛辞として、この言葉を大好きな青木さんに贈らせていただきたい。

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