思考不能?
走り続ける生活のなかで、ちょっと立ち止まって考えてはどうだろうか?自分の人生の「プライオリティ」はなんだろうと。
プライオリティは、一般に「優先順位」と訳されるが、日本語にするとズレがあるような気がする。たぶんみなさんの多くは、なににプライオリティを置くかと聞かれたら、「ゴルフ」と答えるかもしれない。週に一度はプレーをする。それがプライオリティだと。わたしの場合は夏場の釣りかもしれない。
けれど、立ち止まって考えてみると、そうではない。平凡だが、やはり毎日の生活がプライオリティのトップに来る。ゴルフなどできなくとも、釣りなどできなくとも、日々がやすらかに送れることが、もっとも優先する。家族の安定を願えば、仕事が最優先ということか。
一打の重み
遼は今年に入って渡米し、4戦すべて予選落ちという結果になっている。5戦目のホンダクラシックでようやく予選を通過したが、その前の4戦の内容はすべてカットラインに一打足らずというもので、惜しいといっていいと思う。予選さえ通れば、もしかしたら上位に食い込めるかもしれないのがゴルフだから。
予選2日間(ときには3日間)のうちに、「もったいない一打」はいくつあるだろうか。ショートパットをはずしたり、OBを打ったり、池に入れたりなど、それぞれの試合で2〜3打は「もったいない」があったはずだ。
でも、「あれがなければ」というミスの修正に、練習を割いてはいけない。あくまでも全体のレベルを上げて、2〜3打のミスを含めて予選通過をするゴルフをつくらないといけない。どんなスーパーショットも一打であり、ミスショットも一打である。初日の1番ホールの3パットが響いて一打足らずの予選落ちとなれば、どうしてもその3パットが目立つし、それが2日目の最終ホールであればなおさらだ。
しかし、それを一打の重みと考えてはいけない。2日間144打のすべてが重い。それがプロゴルファーのプライオリティである。
釣りができなくとも、家族サービスができなくとも、一打を縮めることに全力を尽くす。そうして生きてきたのが遼であり、プロゴルファーたちだ。釣りや家族サービスは自分のポジションを獲得してからの話であり、または夢をあきらめた人の生き方といっていいかもしれない。
王将
プロの世界で生きようとする人間の様は、その世界を知らない他人から見たらピエロに見えもするし、狂人に映る場合もあるだろう。日本では戦争が終わり、平和主義、平等主義が叫ばれるなかで、村田英雄の『王将』が大ヒットした。吹けば飛ぶような将棋の駒に命を懸けた坂田三吉を唄ったものだった。
だれだって本当の勝負が好きなんだ。しかし、一般の人々はその舞台に立てない。だから、だれもがスポーツを愛する。負けても負けても強い相手に向かっていく。その戦う姿を見たい。
シード選手に国内5試合の出場義務を課すことによって、PGAツアーに挑戦しようとする若手にブレーキをかける。戦わないゴルフが国内で続いている。そして、ファンは離れ、スポンサーも逃げていく。
こんな当たり前の構図が、JGTOも選手会もわからないのだろうか。それよりもほかに彼らに別のプライオリティがあるのだろうか?
石川勝美 いしかわ・かつみ
プロゴルファー石川遼の父。ゴルフ界発展のためのさまざまな提言を発信する。ゴルフをはじめ読書、写真、釣り、旅、競馬、家庭菜園など趣味は多彩。著書に『石川家の子育て』など。1956年生まれ。
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