作家は筆記用具、特に万年筆にはこだわりがあるが、プロゴルファーは、パターにこだわりはあるのか…
イラスト=松本孝志
第二次大戦と呼ぶのが正しいのか、単に日米戦争だけで通ずるのか、学校の教科書ではどういう呼び方が用いられているのか知らないが、わたしと同世代の人と話をするときなら〝この前の戦争〟で、じゅうぶんに通ずる。わたしの場合は、日本の海軍航空隊がハワイの真珠湾を空襲したのは、小学校五年生のときで、終ったのが、中学3年生のときだったのである。これも、事実に即していうなら、そのときわたしは陸軍幼年学校の第四十九期生として教育を受けていたのだ。
日本だけではないが、軍事教育をほどこすのは成人になってからでは遅い、十代の中ごろからでいい、というのが各国共通の考え方であり、従って早期に軍事教育をするのが世界的常識だった。日本の場合、軍隊の根幹になる兵士については、徴兵制により一定年齢に達した男子は身体検査を受けるのが国民の義務だった。ここで軍事的な議論をする気は全くないが、もし軍隊が存続していたなら、わたしはゴルフをするようになっていただろうか、と思うことはある。何しろ、日本ではこの前の戦争がはじまるまでは、ゴルフは有閑階級の主として男の遊びだった。
思い出すのは小学生時代の記憶である。同年の仲間との遊びは野球だった。道路でゴムボールを使うのだが、どうしてもボールは近所の家の庭に入ってしまう。声をかけてとりに入るのだが、ある日のことまったく返事がなかった。そこで勝手に入りこみ庭を探したら白い小さなかたいボールが何個かあった。それをもって道路に戻ったら、野球には使えそうもないので、ゴミ箱に捨てた。今にして思えばそれはゴルフボールだった。その家の主は海軍をしりぞいた将官クラスの軍人だった。海軍にもハイカラな人がいたのだ。
その点は、欧米においても大差はなかった。女子でゴルフをする人は多くはなかった。ボブ・ホープというのはイギリス出身の喜劇俳優で、歌手のビング・クロスビーと組んだ珍道中シリーズの映画が有名である。二人ともゴルフ好きで、クロスビーがホストになるゴルフ会をはじめると、ホープも見習ってはじめた。参加希望のアマからかなり高額の参加費を集めて病弱老人の介護施設を作ったり、孤児のための学校を建設したりした。ゴルフには不熱心な映画スターたちも、この二人の大会には参加した。それを見物にくる客からも寄付金を集めたから、この二人の大会はTVでも大人気だった。
日本では、そういう慈善的な試合は多くはない。というよりも、ほとんどない、といっていいのではないか。前に、多少とも名前の知れた人たちのコンペを開き、見物にきた人たちに、参加者提供の品を買っていただき、それを社会的な行事に寄付するという催しがあった。
例えば、プロゴルファーならば日本オープンに優勝したときに用いたパターを提供すれば、かなり高額でも欲しいという人が出てくるだろう。しかし、小説家となると、そういう品はない。わたしが直木賞を頂いた作品を書くのに用いたペンはどうだろうか。わたしは、小説を書きはじめたときには、モンブランの万年筆を用いていた。しかし、筆圧が強いために、ペン先がすぐに太くなってしまい、書きにくくなった。
ある程度ペン先が太くなった方が書き易いという人がいるが、それは日記や手紙を書くのに万年筆を用いる人には当てはまるだろうが、プロには通用しないのである。個人的にはモンブランのほかにもペリカンもかなり愛用したのだが、雑誌や新聞に書くようになると、すぐにすり減って書きにくくなる。だから、別の筆記用具を用いることになるのだ。すぐにすり減る品はプロとしては使い辛いのである。
その点で、ゴルフのパターなどはいつまでも使える。シャフトが折れれば使えないとしても、ヘッドがきちんと残っているなら使えるのだ。かりに誰かがマスターズに勝ったときに用いたパターを提供すれば、買いたい人は沢山出てくるだろう。その点でゴルフ用品は便利である。いや、便利というのが不適当ならば、手にした人に喜んでもらえる、といってもよい。
前に尾崎直道プロと彼の家で対談したときに、パターに何かこだわることがあるか否かをたずねた。
筆記用具の万年筆にもいろいろな型があるけれど、紙の上に何か書いてどなたかに読んでいただくのが目的ならば、万年筆あるいはソフトペンが適している。万年筆は、メイカーによって太さが違ってくる。また同じメイカーでも女性用は少し細い。個人的には、新聞社にいたころ使っていたものよりもモンブランやペリカンの太さが手になじんでいて、それを使っていたが、一日に何十枚も書くようになると、すぐにペン先が太くなりすぎてしまい、使えなくなった。
話が飛ぶようだが、パターとゴルファーとの関係はどうか。プロのパターは、何かプロならではのこだわりがあるかどうか、対談の最後に直道プロにたずねてみた。
予想に反して、彼は、パターの型はいろいろあるが、自分は特にこだわりはない、ただし、そうはいっても、悪いスコアが続けて出たときには別の型のパターにしてみる、という返事だった。
そのあと日本オープンに勝ったときに使ったパターを見せてもらった。ピン型のパターで、特徴のある品ではなかったが、手にとって立ち上り、素振りをしてみた。
「思いのほかヘッドは軽いですね」
と率直な考えをいった。
「そうですか、ま、どちらかというと重いヘッドは扱いにくい気がしましてね」
「プロの皆さんはどうなんですか。振って重いのと軽い感じのパターと…」
「いや、それはわからないですよ。その人が軽いと感じても、ボクが使ってみると、重い感じがするかもしれないから」
そのあとパターの使い方というか、どう持ってどう打つかの話があって、そのパターを記念に頂いた。そのパターの由来(日本オープン勝利の品)には全くこだわらない、というのである。
そのパターは今もわたしの手もとにある。試合というよりも正しくはある出版社主催のコンペに使ったことはあるのだが…。
三好 徹
1931年東京生まれ。読売新聞記者を経て作家に。直木賞、推理作家協会賞など受賞。社会派サスペンス、推理、歴史小説、ノンフィクション、評伝など、あらゆる分野で活躍。ゴルフ関連の翻訳本や著書も多い。日本の文壇でゴルフを最も長く愛し続けている作家。
この記事が気に入ったら
SNSでシェアしましょう!