連載コラム

三好徹-ゴルフ互苦楽ノート

ゴルフ記念日

2013/10/16 21:00

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 ゴルフをする人は、それぞれの記念日を持っているのではないだろうか。まず第一は初めてコースに出て、ゴルフそのものを現実に体感した日。第二は初めて18ホールをプレイしてスコアが100を切った日。ここまではたいていの人が持っているはずだが、人によっては、何年ゴルフをしていても100を切ったことはない、という場合もある。そして第三の記念日は、持たない人の方が多いと思うが、ホールインワンを達成した日。さらに少いのは、72のパープレイの日で、これには72を経験せずにアンダーを出した場合も含まれるだろう。

 わたしが同年代の作家二名といっしょにゴルフをはじめたのは、40年近く前のことだった。三人ともK出版社の役員に勧誘されたのだ。わたしたちは、いわば食わず嫌いでゴルフを敬遠していた。キャディに重いバッグをかつがせるという外見上の形式に反感を持っていた。三人とも昭和ヒトケタの生れだったから、小学校のときに中国との戦争がはじまり、旧制(当時の中学校は5年制)の中学生のころは、物資欠乏食糧不足に悩まされた。それは戦争が終わってからも続いた。主食の米は配給制だったが、それが予定通りに実行されたことはなかった。主食のほかの野菜や魚、肉などは、入荷すると、長い行列ができた。政治家や政府の約束が実行されることは皆無だった。

 そういう体験を共有していたせいか、ゴルフをはじめるにはなにかしら抵抗感があった。時間やこずかいにゆとりができても、いや、できなくても同世代の遊びはマージャンが主だった。あるいは競馬に凝って日曜日に競馬場へ行くことも多かった。競馬というのは、およそ不条理なもので、その何とも説明できない不条理さが文筆に生きるものの心を惹きつけるかもしれないのである。古くは菊地寛、吉川英治、舟橋聖一などが馬主になったし、現在でも馬主になっている作家もいる。個人的にはいろいろと教えられることの多かった井上靖さんから、「まだ新聞社にいたころだが、地方競馬を追いかけて新潟あたりまで遠征したものです」

 と聞いたことがあった。とうてい、そんなあそびをする人には思えなかった。

 不条理さでは、ゴルフも劣らない。吉川さんも井上さんもゴルフには凝ったことがあった。井上さんは旧制高校時代に柔道で黒帯をもらっていたという話を聞いたが、「柔道は練習のしがいがありましたが、ゴルフというのはいくら練習してもダメですね」

 といっていた。

 スポーツにはいろいろな金きん言げ んがある。金言とは真理を短く言いあらわした先人の言葉で、格言とほぼ同じであるが、もともとは釈迦のいった不滅の教え(それを金こん言げ んという)のことだった。スポーツでは「練習は選手を裏切らない」とか「継続は力なり」が金言である。といっても、毎日のように近所の練習場へ行って、何箱も打ったが、いっこうに100を切れない人にとっては、こうした金言は腹立たしいものといってよいだろう。

 わたしはゴルフをはじめたとき、勧誘してくれた出版社の役員から、コースに出る前に近所の練習場へ行き、そこのレッスンプロに教えてもらうのがよい、といわれた。で、今はマンションになっているが、その当時は20打席はある練習場へ行ってみた。

 今でも覚えているが、それは9月初旬のことだった。レッスンプロは戦前の日本オープンなどで好成績をおさめたという人で、3人の女性にレッスンをしていた。わたしは彼女たち(いずれも四十代に見えた。俗にいう自由丘夫マ ダ人ム に思えた)のレッスンが終るのを待つことにした。一言でいえば、懇切丁寧な教え方だった。女性たちは嬉しそうに笑い声を発してクラブを振っていた。

 やがてわたしの番になった。正直に、全くの初心者であることを告げると、「ともかく打ってみてよ」

 というので、わたしは、入門書に出ていたように5番アイアンを握った。コースに案内してくれる約束のK社の人から、いきなりドライバーを振るのはよくない、と聞いていたせいもあった。つけ加えるが、わたしは近くの書店にあったゴルフの教本(ベン・ホーガンの『モダンゴルフ』もあった)10冊を買って目を通していた。

 わたしは、一応は庭でクラブの素振りをすることは何度かやっていた。ただし、実際にボールを打つのはそのときが初めてだった。ボールに当るかどうか、自信はなかった。といっても、ピンポン型の穴あき球は庭で打っていたから、力を入れると、球にかすりもしないことは心得ていた。

 5番アイアンで打たれた球は、20メートル先のかなり大きなマトに当った。手ごたえも悪くはなかった。レッスンプロは「もう一球」とぶっきらぼうにいった。わたしは打った。少し力が入りすぎたのかトップした。それからあとの約30分は、どうにも不快な時間だった。自由丘夫人たちに教えていたときの人と同一人とは思えなかった。

 結局わたしはそこへは二度と行かなかった。こういうのは出会いの運不運なのである。また、別の人からレッスンプロに紹介されることはあっても、行く気がしなかった。アマプロその他で出会えた故杉原輝雄プロやいまはシニアの金井清一プロとは、その人柄もあって、教えていただくことが喜びだった。

 本誌だけではないが、月刊にしろ週刊にしろ、一冊を丁寧に読めば練習場のボール10箱よりもその人のゴルフにとって大きなプラスがある。わたしなどの文章は、ゴルフ技術にとっては何もプラスするものはないが、ゴルフにはいろいろな見方もあるということはわかっていただけると思う。プロになりたい、あるいは上達したい人にとっては、何よりも必要なのは練習であるが、練習がすべてではない。時には立ち止まって自分のスイングについて考えてみることもプラスになるはずであるとわたしは思っている。それは何もプロのゴルフに限らず、どういう職業でも時には初心に戻って考えることには意味があるのだ。

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