連載コラム

三好徹-ゴルフ互苦楽ノート

勝利の内面にあるもの

2014/3/10 21:00

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宮里優作の最終ホールでのチップインはたしかにミラクルショットだったけれど……



 プロゴルファーの試合体験とはどういうものだろうか、と考えることがある。例えば昨年最後の日本シリーズで、宮里優作が最終日にトップでスタートし、1ホールもアンダーにならないうちに2位の呉阿順に1打差に迫られた。もう何回も勝っている選手ならば、そういう状況は何度となく体験しているから、その克服法もわかっているだろう。しかし、宮里はプロ入り後、何度も最終組でプレイしてきたが、2位にはなっても、優勝はできなかった。プロになって、すぐに勝つだろうといわれたが、勝てなかった。

 勝てる実力を持っているのに勝てないという状況は、本人にとってこれほど苦しかったことはないであろう。不意に予期しないミスをしてしまうのではないか。ミスならまだしも、小石に球が当って池に入ったらどうしよう……。

 人間というのは、良い状況の想像は難しいのに、悪い結果についてはいくらでも思いうかんでくるのだ。それは何もプロゴルファーだけではなく、勝負に生きるもの全てに当てはまるかもしれない。全勝を続ける横綱だって成績不振の平幕力士の奇襲をくらって負けることもある。69連勝の横綱双葉山が前頭三枚目の安芸ノ海に負けたとき、友人あてに打った電報「イマダモクケイタリエズ」はよく知られている。中国の古典「荘子」にある言葉で、原文は「似木鶏矣」である。矣は強調で、木でできたニワトリというのは、どんなに強い闘鶏でもその木鶏の前に出ると戦う気力も消えて逃げて行く、という寓話なのだ。

 そういう古典に目を通していたという力士も珍しいが、電報の受取人の友人が紹介してくれた哲学者の安岡正篤から教えられたものだといわれている。これは奥床しいエピソードだが、実は負けた双葉山にまげをととのえた床山の話がある。記者に頼まれて、

「いま、どういうお気持ですか」

 とたずねたのだ。

「あまりいい気持じゃない」

 と双葉山はいい、どうして負けたと思うのかとさらに問われると、双葉山は、

「そういわれても……負けたんだよ」

 ぼそりと答えたという逸話が残っている。木鶏よりもこちらの返事の方が人間的だが、それは面白いとかつまらないとか、あるいは良い悪いの問題ではない。勝っても負けてもその人の人生に関係のない勝負もあれば、それによってガラリと変る人生もあるということなのだ。

 先ごろマカオやシンガポールのカジノで百億円も負けたギャンブル狂の実業家のことが、新聞やTVで大きく報じられていた。カードにしろサイコロにしろ、何か用具を使うゲームには、自由自在に操作できるプロが存在する。1964年のことだが、記者だったわたしはニューヨークやワシントンで仕事をしたのちラスベガスに寄った。運賃が変りないと知って日程を変え、空港の電話でホテルを見つけた。いまもあるかどうかわからないがスターダストというホテルで、一泊10ドルだった。1ドル360円の時代である。チップ1枚1ドルのカード台に座っていわゆるドボンで遊んだのち、20ドルくらい負けてから最低100ドルのバンクゲームの台を見物した。ロープが張ってあって、見物人はその外である。

 何分かしてふたり連れのバムプキン(いなかの人)が入ってきた。互いに100ドル出して計200ドルを賭けた。おどろいたことにその金が、400、800、1600ドル、そして3200ドルになった。一回も引かなかったのだ。すると3000ドルを半分に分けてしまいこみ、また200ドルからはじめた。それはすぐに負けた。ふたりは合計3000ドルをポケットにおさめてロープを出ようとしたのだが、ロープの出口の両がわに男がいた。

 ふたりは足をとめ、カード台のわきの椅子に腰を下ろしてずっと見ていた感じのいい老人のところへ行き、汗をかきながら真剣に何かいっている。わたしは少し近寄って耳をすました。なまりの強い早口なのでよくわからないが、自分たちはミネソタのテナントリー(小作農民)で初めてベガスにきたんだ、と弁解しているらしい。老人はにこにこして聞き、最後にロープの若者を呼んで何かいい、ふたりの農民はおとなしくどこかへ連れて行かれた。念のために出発前に翌朝の新聞を丹念に見たが、砂漠で死体が発見されたという記事はなかった。約50年前の3000ドルは今ならどれくらいだろうか。

 それはともかく、ゴルフの場合は衆人環視の場でホールインワンを細工することはできないだろう。ただし、フィリピンの山岳コースでは、わからない。というのは高いところにグリーンのあるパー3で下の低いティからショットしたら、先に高いグリーンに行っていたキャディが「ホールインワン」とどなった。行ってみると本当に彼のボールが入っていた。彼は日本の観光客だった。多額のチップをはずんだが、打ったボールはキャディのポケットに入り、彼のバッグにあったボールがホールに入れられたのではないか、と疑ったのである。以上は実話だが、日本シリーズで、宮里が最後に打ったラフからの奇跡的なチップインは、本人が今になって100回ショットしたって入るとは思えない。だからこそゴルフは興味深いスポーツなのだが、来シーズンの宮里があの体験を経てどう変るか、わたしは関心を持たざるを得ない。

 文章を書いて生活するものにとっては、例えば芥川賞や直木賞を得ることが日本シリーズや日本プロに勝つことに相当するかもしれない。一回目の候補で獲得する作家もいたし、最多では十回目という例もあるようだが、何回も落ちたままの作家もいる。それでも大成した人がいるし、獲得したものの文壇から消えた人もいる。わたしは三回目で受賞したが、宮里プロの1打目左ラフ、2打目右ラフのような心境ではなかった。

 ゴルフのプロにとって、あのミラクルショットは最高の親孝行となったが、文筆家としてはああいう形の親孝行はなきに等しいし、できないといってもいい。また、プロゴルファーの場合は、もっと上等の親孝行だって可能である。賞金王か? いや、もっと上である。メジャーのどれかに、できれば最古の歴史の全英オープンに勝つことだとわたしは思っているのだが……。


三好 徹
1931年東京生まれ。読売新聞記者を経て作家に。直木賞、推理作家協会賞など受賞。社会派サスペンス、推理、歴史小説、ノンフィクション、評伝など、あらゆる分野で活躍。ゴルフ関連の翻訳本や著書も多い。日本の文壇でゴルフを最も長く愛し続けてきた作家。

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