連載コラム

三好徹-ゴルフ互苦楽ノート

高額賞金の意味するもの

2014/10/20 21:00

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同じプロゴルファーといってもタイガーは年収100億。一方、試合に出る金に苦労する人もいる



 現在ゴルフの試合で優勝すれば1000万ドルという大きな賞金が出るのは、アメリカのプレーオフ戦だけだろう。スポーツで勝者に与えられる賞金は、競技の種目によって異なるが、これだけの大金が出る大会は、ほかにはない。ゴルフは、確かに人気スポーツではあるが、この金額の巨きさにはびっくりする。正直にいえば、興醒めするほどの額だった。日本円にすれば10億円である。1試合の成績ではなく4試合のトータルだというが、一般の人には縁のない話である。

 本気になって考えるほどのことではないが、スポーツを職業にする人が生涯かけて手にできる最高額は、どれほどの数値になるのだろうか、そしてそのスポーツは何か。

 例えば、競馬の賞金はかなり高額である。日本円で1レースで億の単位になるレースはいくらもあるが、それを手にする人は、その馬のオーナーである。馬がレースでかせぐ金は、引退するまでに何十億円になろうが、それを手にする馬主をスポーツマンとはいえない。わたしがゴルフをはじめた頃のことだが、南アの試合で勝てば100万ドルという試合もあった。それには背景というか事情があったのだ。というのは、南アは徹底的な人種差別政策を実行していた。一流のレストランに入れるのは白人にかぎられていた。わたしの学生時代の友人で商社に入った男から聞いた話では、日本人は白人待遇で入場を拒否されることはなかったが、地方に行くと、有色人種に扱われることが多かったそうである。

 それだけではなく、逆に南アの選手が出場を拒否されることもあった。ゲイリー・プレイヤーは、昭和32年に日本で開かれた第5回カナダカップで南ア代表として出場できたが、南アの差別策が国連の決議で非難されてからは日本では出場できなくなった。彼自身は、自分の牧場に黒人を採用し、差別政策には反対していたが、祖国が政策を変えない限りは、日本の試合に出ることは不可能だった。

 あるいは、アメリカの南部に含まれるオーガスタで行われるマスターズ・トーナメントで、黒人選手が出場できないことがあった。マスターズの招待資格の一つに、ツアーの試合の勝者があったのに、リー・エルダーは勝っても招待されなかった。創始者のボビィ・ジョーンズは、人種差別主義者ではなかったと思うが、どうやら実行委員の中に分からず屋がいたらしい。タイガー・ウッズが18番グリーンで勝利の雄叫びを発し、グリーンを出ると待っていた父親と抱き合うという光景は、1960年代にはあり得なかったのである。

 タイガーはスポーツ選手の中で、年間所得のトップを占めたことが過去にあるが、その額は約1億ドルだった。それは試合の賞金のほかにTVのCM料なども含めてのことである。それを考えれば、PGAの1000万ドルがアメリカ人でも驚く金額なのだろうと思う。

 ボブ・トスキというアメリカのプロは、日本にも教えにやってきた人で、そのレッスンぶりには定評があった。彼の話では、ツアーの賞金王になったときの額は約5万ドル(当時のレートで約1800万円)だった、という。1年間の何百ラウンドの成果であっても、たいていの人は5万ドルにびっくりした。別に金額が低いからではなく、ゴルファーがそれほどの金をかせぐことに驚いたというのだ。

 ニクラスの最初の賞金は50ドルにも満たなかった。彼のプロ入りは1960年か61年だったと記憶するが、日本は60年安保の反米デモで大騒ぎしていたことを記憶している。そのちょっと前に行われたカナダカップで、日本代表(中村寅吉、小野光一)はアメリカ代表(サム・スニード、ジミー・デマレー)を負かして世界一になった。スニードはツアーで82勝し、この記録はタイガーが79勝まで迫っているが、今でも破られていないのである。またデマレーはマスターズに3勝している名手で、これによって日本にゴルフブームが到来した。なお、そのときの賞金は1位2000ドル、個人1000ドル。中村は1位の半分を入れて2000ドルのほかにベストスコア100ドルも獲得した。当時は1ドル360円。中村は75万円以上を得たことになる。サラリーマンの初任給は平均1万2000円くらい。それを考えると、トスキの5万ドルはかなりの大金といってよい。一般のアメリカ市民は、ゴルフで5万ドルも稼ぐことができるのか、と羨望を覚えたに違いない。

 物価の高騰という経済状況をインフレ、正しくはインフレーションというが、この半世紀で経済ナンバーワンのアメリカもインフレの波にひたされてきたのだ。アメリカ女子プロのM・ウィがプロに転向すると、1000万ドルの契約金をもらって世間を驚かせたことがある。そういうとき、わたしは、予選落ちを気にしながらラウンドするプロの胸中を考えてしまうのである。実力の世界だから、好スコアを出せなかった以上、2日のプレイで帰宅するしかない。キャディ代や交通費のほかにプロであってもコース側にグリーンフィを支払う。最近のことは知らないが、プロもビジター料金を取られていたそうである。スポンサーが出場プロの交通費やホテル代さらにはグリーンフィまで負担してくれる大会は、今では皆無に近い。つまりゴルフのプロは多額の賞金を得るチャンスもあるし、逆に出費ばかりというケースもある。

 そんなことは一般社会ではたえず起こっているのだが、良い場合と悪い場合の差がゴルフの世界ほど極端なケースは少いのではあるまいか。また一般社会では努力する人にはそれなりの報償があるのに、ゴルフでは努力が必ず報われるとは限らない。それでいて、努力を怠るものには必ず罰がある。

 ゴルフの上達にはいろいろ手段があるが、最近になってわたし自身は、ある種の諦観というような境地に達した気がするのである。手もとの辞書で「諦観」を見たら「本質を見極めること。悟り」とあるが、わたしの日本語の感覚では、諦観と悟りはイコールではなく、ピンそば1メートルと10メートルにオンしただけの差に近い。それが上達とどう結びつくのか、次号にその説明を譲らざるを得ない。

三好 徹
1931年東京生まれ。読売新聞記者を経て作家に。直木賞、推理作家協会賞など受賞。社会派サスペンス、推理、歴史小説、ノンフィクション、評伝など、あらゆる分野で活躍。ゴルフ関連の翻訳本や著書も多い。日本の文壇でゴルフを最も長く愛し続けてきた作家。

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